森の暗号

日高村の霊山大滝山は、4月にこの村に来て以来何度が登っていますが、訪れる度に違う表情を見せてくれます。季節によってももちろん違いますし、同行者によってもこの山はまったく違う印象になります。

四国特有の複雑な地層はその上に多種多様な植物の森を作り出しました。さらに信仰の対象でもあり修行の山でもあった大滝山は、豊かな自然と人の営みとが複雑なモザイクを描く不思議な山です。

今日は山の麓にある護国寺の住職さんの案内で大滝山を歩きました。最近よく行動を共にする日高村の仙人ご夫婦もご一緒です。大滝山の霊性と自然の両方を満喫できる絶好のイベントです。

かつて仙人が素手でマムシをさばいたエピソードはこちらをご覧ください。

大滝山の霊的な雰囲気とご住職の法衣に触発されたのでしょうか、78才仙人の死生観を聞けたのは収穫でした。「死後の世界などない」「わしは死ねば肥料になる」。

終末期医療にかかわった前職で覚えた知識によると、死後の世界を否定するメリットは、一度しかない人生をできるだけ有意義に生きようとする強い意欲を持てることにあると言われています。まさにこの理論の通り仙人は生きる意欲に満ちています。好奇心と情熱と他者への愛に満ちています。ただ私の経験上、死後の世界を否定して活き活きと生きている人は仙人の他に会ったことがありません。やはり仙人は特別です。

ついでに私の死生観は死後の世界も今も過去も未来もすべてこの一瞬に存在するという感覚です。将来私が死んだあと死後の世界に行くかわかりませんが、今この瞬間この場所に死後の世界を含めた時間と空間がある感覚があります。終末期の現場に10年以上かかわった後遺症かもしれません。この感覚のメリットは毎日が寂しくないということです。心を向ければそこに亡くなった懐かしい人を感じます。

今回ご住職と登る大滝山のイベントのクライマックスは山での瞑想です。

瞑想が三度の飯よりも大好きな私ですが、実は森の中、人間の作ったもの以外の場所で瞑想をするのは初めてでした。

瞑想をすると感覚が鋭くなる時があります。

今回も周囲の音が大きく聞こえるようになってきました。

知らない鳥の声、知らない虫の音、鳥でもない虫でもない何か知らない音。これら迫ってくる森の暗号に私の心は占められていました。そしてこの暗号を解いてみたいという欲求が沸き上がってきました。もっと自然の謎を知りたいと。

太古の昔、宗教と科学が生まれたのはこんな欲求からだったのかもしれません。

そんな遠い感覚をこの身に感じながら充実した瞑想ができました。

大滝山には何度も通いたくなる森があります。

コウモリにも出会いました。