今日、トンボを好きになる。

上の写真にトンボが飛んでいるが見えますか?

日高村には、約70種のトンボがいます。

日本には約200種のトンボがいるので、その3分の1を日高村で観察することができます。

日高村のトンボの中には、きれいな水でしか生きられないような貴重なトンボもいます。

そうは言っても、正直トンボはそんなに好きではありませんでした。

どちらかというと、人間以外では、小動物や小鳥のようなふわふわしたのが好きです。

日高村には、アナグマやもちろんイノシシ、そして珍しい小鳥がたくさんいます。

トンボに頼らなくても他の生物で十分村おこしができると、

今日まで考えていました。

小さな子どもの頃、母は私の持ち物に全部トンボの刺繡をしていました。

トンボを思うと、母や昔をせつなく想い出します。

それでも生きたトンボにはあまり思い入れがありませんでした。

今朝、出勤すると来春出版予定の日高村トンボ事典(仮題)の原稿が一枚置いてありました。

「トンボも意外とおもしろいかも」

そう思ってネットで調べてみると、日本人とトンボはとても仲が良いのを知りました。

日本書紀では、日本のことを「あきつくに」というそうです。

「あきつ」とはトンボのことです。

前進しかできないトンボは武士からも好かれていました。

いつの間にか私もトンボ好きの一員です。

私が単純だというわけではなく、トンボが面白いからです。たぶん。

最近いつも帰り道の田んぼにいるトンボはウスバキトンボだということも知りました。

夕方5時の時報が、隣のいの町ではトンボの歌だと知りました。

「今日の帰りはウスバキトンボに挨拶していこう」

しかし今日に限ってウスバキトンボはどこかに行っていなくなっていました。

不思議な奴らです。

来年には日高村トンボ博士になる予定でいます。

これが何トンボなのかはまだわかりません。

日高村役場の写真アーカイブで見つけました。

 

忍者もへいくん、その隠密すぎる活動。

ひなまつりの準備が始動しました!

来年の日高村酒蔵(さかぐら)のひなまつりに向けて、直前になってバタバタしないように10月の今日スタートしました。

きっと去年はすごいバタバタだったに違いないと思われます。

まだまだ知らない日高村が多いのに、なんでも知っているかのように一度も見たこともないイベントをラジオで紹介していた自分をほほ笑ましく思い出します。

それはともかく、

来年の「ひだかさかぐらひなまつり」では、1月中旬から巨大ひな人形の制作を始めます。

1か月以上かけて作られる巨大ひな人形、とても楽しみです。

これが日高酒蔵。

昔の写真です。

今は煙突が短く切られています。

もっと重要なのは、今はもう酒は造られていません。

昔は「松の緑」という銘酒が造られていました。

「ひだかさかぐらひなまつり」(今日の会議で平仮名表記が決定しました)には、忍者の「もへいくん」も登場します。

これが、もへいくんⓇ

このもへいくんが、ニューヨーク、パリ、東京ではあまり知られていないのはわかっていました。

しかし、ここ高知では有名だと、土佐言葉を話す人なら全員知っていると思っていました。

どうも違うようです。

一昨日、四万十市中村で出会った人たちは誰ももへいくんのことを知りませんでした。

「どこの忍者?伊賀?甲賀?」

「もへいくんは、フリーランスの忍者です」

もへいくんこと「日下茂平(くさかもへい)」とは、

江戸時代、身分違いの恋に破れた日下村(現、日高村)の青年茂平は、世をはかなんで猿田洞という深い洞窟に入ります。そこで天狗仙人と出会い忍術秘術の数々を学んだ茂平は、忍者茂平として成長し、高知城下の富豪の家から金品を盗んでは貧しい人に配っていたそうです。ある日、酔っぱらった茂平は親友の佐川市之丞とともに逮捕されます。死罪になる直前、茂平は鷹に化け、同じくネズミに化けた市之丞をくちばしにくわえ、いずこへと飛び立っていったそうです。

以来、茂平の行方は誰も知りません。

念のために申し上げると、日下茂平は実在の人物です。

それから数百年、忍者茂平はゆるキャラ「もへいくん」として生まれ変わりました。

高松にて仲間たちと偉い人をお迎えするもへいくんⓇ

時代は変わります。

それでももへいくんは忍者なので、どうも隠密行動が多いようで、あまり人に知られることがありません。

須崎市のゆるきゃらまつりでは、ある少年に「一番好きなのは、ふなっしーと赤い忍者」と言われたくらいおちゃめなやつなのでもっと有名になってもいいと思うのですが…。

きっと今はどこかで親友のしんじょうくんがゆるキャラグランプリで一位を獲るために隠密活動中です。

次に、もへいくんが現れるのは11/27開催の「第10回もへいマラソン」の予定です。

ちなみに私は、もへいくんが表で活動するときはたいてい同行しています。

中年、ラジオに緊張する。

40を越えて、初めての体験をするのはとても楽しいものがあります。

10代のころの初めての体験よりも40代の今の方がより刺激的でより新鮮な初体験になるのではないでしょうか?

日高村で、生まれて初めてラジオに出演しました。

RKC高知放送のラジオ番組『ぱわらじっ』に出演して、日高村の11月のイベントを紹介しました。http://www.rkc-kochi.co.jp/radio/powerradi1/

うれし恥ずかしラジオ出演。

緊張にドキドキする40代のおやじ。

自分で自分が可笑しくなります。

日高村で暮らし始めて初めて体験したものはラジオだけではありません。

草刈り、太刀踊り、カヌー、ゆるキャラの舞台裏、崖っぷちのガードレールのない車一台の幅もない道をドライブ、夜中の川エビ採り、畑仕事、野鳥の観察、イノシシ狩り、マムシ、かんたろう、野うさぎ、アナグマ、洞窟のコウモリ、などなどなど。

仁淀川を飛び跳ねながら海へと下る鮎。などな。

小学生のようにテンションが上がる40代。

人生が80年だとすると、その折り返し地点でもう一度人生をやり直すのもいいものです。

健康よりも大切なもの

日高村へ来る前まで、私は埼玉県川越市にある終末期の人が集まる病院で鍼灸師として働いていました。

その縁で、四万十養生塾に声をかけていただきました。

四万十市中村で、人と地域が健康に生きる道を探求し実践しているグループです。

しかも昨日はきれいな女性ばかりでした。

わずか半年前までは、どうすれば健康になれるのか、どうすれば病気が治るのか、10年以上毎日考えていましたが、高知にいる今、その手のことはまったく考えなくなっていました。

土佐の小京都、中村で再び健康について考えるのはとても新鮮でした。

タバコを吸ってお酒も浴びるように飲んでいるのに元気に長生きしている人がいます。

一方で健康に気を使い食べたいものも食べず、やりたいこともやらずに我慢してきたのに早死にする人がいます。

何が違うのでしょう?

健康に気を使っても早死にする人は、健康を大切にし過ぎるあまり、自らの命をおろそかにしたからだと思います。

科学は生命の神秘をまだ知りません。

健康になる方法も、病気を治す方法も、命だけが知っています。

命が望む生き方を選ぶことが、健康になる方法だと思います。

逆に、不安や恐怖心が作り出した妄想に従って生きることは、病気になる一番手っ取り早い方法です。

歴史と癒しの四万十市中村。

応仁の乱からある古い井戸。

今、土佐の小京都四万十市中村の一条神社の広い畳の部屋でこのブログを書いています。

なぜか一人、神社に泊めてもらいました。

一条家の客人になったような高貴な気分です。

でも広い神社の部屋は、暗くて怖い。

築100年。

前回の南海地震で傾いたそうです。

見ただけでわかる大きな傾き。

避難経路は確認済みです。

今日は一条神社の奥さまが主催する健康の勉強会に参加させていただいた。

久しぶりに以前の仕事、鍼灸師みたいなことをしたら新鮮とても新鮮でした。

高知の空気、特に中村の空気はヒーリングに合っていると思う。

癒しの街並み癒しの空気。

整体師や鍼灸師も大勢中村にいるそうです。

仁淀川を裏切るわけではないですが、四万十川もいい。

すごくいい。

鮎もとてもおいしい。

我々チーム仁淀川もがんばらねば。

中村は、亡くなった祖母の故郷。

若かりし祖母が、間違いなく御参りしたであろう一条神社に泊まっているのはとても感慨深いものがあります。

縁とは不思議なものです。

今夜のデザート。茄子のパイ。フシギナおいしさ。

高知でブログを書くということは、かなりの高い確率で酔っぱらって書くということに気がついた。

 

地域おこし協力隊員が鳥取へ行くということ。

今日の夕食。高知名物、自由軒の味噌カツラーメン。

ラーメンとは関係ありませんが、

鳥取と高知の地域おこし協力隊員が逮捕されました。

逮捕された高知の隊員は、逮捕された鳥取の隊員と交流があったようです。

彼らが逮捕された時と同じ頃、

彼らとは何の関係もない高知の協力隊員の私が、同じく彼らとはまったく関係のない鳥取の元協力隊員と交流しに行くために、役場に出張費を請求していました。

出張の目的は、大麻の栽培とも、もちろんいかなる犯罪とも無縁のフットパスというのどかなお散歩を楽しむ方法を学びに行くことでした。

予算がないということで私の出張は取り消されました。

彼らの逮捕が出張取消しの原因かどうかはわかりません(たぶん本当に予算がないからだと思う)。

しかし、彼らの逮捕が地域おこし協力隊への信頼を低下させたことは間違いないはずです。

地域おこし協力隊の仕事が成功するかどうかは地域や役場と「信頼関係」が築けるかどうかにかかっています。

信頼関係は1日では作れません。

任期の三年かけても作れるかどうか。

実は今、高知の伝統的な石垣(石積みともいう)を学べそうになっています。

半年前に高知に来て一番最初に感動したのが棚田などそこかしこにある手積みの石垣の美しさでした。

そこで、石積みの方法を知っている人に当たってきましたが、教えてくれる人はなかなか見つかりませんでした。
当然のことですが、信頼されていなかったからだと思います。

危険だし、私が長く日高村にいるとは限らないのに教えるのは確かに危険です。

ただ最近ちょっと教えてもらえるような雰囲気が出てきました。

少しは信頼されるようになってきたのかもしれません。

石積みも信頼もひとつひとつの積み重ねです。

平成狸合戦の勝者。

映画「平成狸合戦ぽんぽこ」の舞台になった町で、私は生まれ育ちました。

四十を超えた今でも、あの映画を見ると涙か止まりません。

子どもの頃に慣れ親しんだ周囲の自然は、大人になるまでには全部消えて無くなりました。

自然は人間にたいして完敗。

しかし、高知では状況が逆転しています。

高知の自然は連戦連勝。

今日、仁淀川町の池川地区で江戸時代から明治の古い道を探しに行きました。

古い文化の薫る道を新しい観光資源にしようと越知町の皆さんと計画しています。

これがその古い道。

この細い道を昔、馬や牛、大砲までも通っていました。

そして、これが現代の道。

気のせいか、舗装されている以外は古い道とあまり変わらないような…。

この幅でも立派な国道です。

この地域は、田畑も道も集落も急速に森に飲み込まれつつあります。

「古いことを知っている人がいなくなる前に記録しとかにゃならん」今日案内してくれた池川の山中さんが静かだか焦りのこもった声で語ってくれました。

「早くせんとみんな死んでしまう」

観光より記録の方が大事な気がしています。

人間の世界が自然へと還っていく最前線に住んでいる今、

次に平成狸合戦を観ても涙することはもうないと思う。

結局はみな森へと還っていくのだろうか。

しかしこの素晴らしい彫刻が自然に還るのは悲しい。

山奥の神社になぜか人魚の彫刻。不思議。

 

村おこしの秘策、見つかる。

2本ある庭の金木犀の1本が一気に開花しました。

もう1本はまったく咲く気配がありません。

植物の不思議です。

村の将来を憂う若者が、村おこしのアイデアを語ってくれました。

日高村は、日本一の清流「仁淀川」の流れるきれいな水に恵まれた村です。

「ワサビがえいと思うがです」

あまり大きな声では言うなと言われましたが、日高村には天然のワサビが育つ沢もあります。

私もすぐにその話に飛びつきました。

ワサビで村おこしだ。日高村をワサビの一大産地にしよう。

さっそく村の中でも水のきれいな地区の老人を訪ねました。

以下の老人の言葉は土佐弁がキツいので、ほぼ標準語に翻訳してあります。

「ここでワサビはダメだな。質の良いワサビにはもっと寒暖差が大きくないとだめだ」

がっかりする私を慰めるように老人は言葉を続けました。

「だが、わしだけが知っとる沢に降りれば、えいワサビが採れるぞ。ちゃんとツーんとくるがよ。しかもデカいき」

「デカい?」

「わしの背丈ほどのが、ゴロゴロ生えちょる」

170センチもある天然ワサビが採れる沢…。

かつて坂本龍馬は、日本を洗濯したいなどと大きなことを言いました。

土佐人は、物事を大きく言う癖があります。そんなところも、いつも話を盛りがちな私にぴったりです。

土佐人の豪快さがあれば、たとえワサビがダメでも、日高村の未来は明るいとなぜか確信しています。