山を手に入れる

表題を間違えました。正しくは「山に手を入れる」です。しかし間違えた表題のほうが景気が良いのでそのままにしておきます。

村営錦山公園は、ひとつの山と谷と渓流の自然公園です。

蛇紋岩という特殊な地層のおかげで珍しい植物にあふれています。

まもなくドウダンツツジが真っ赤に色づき見事な紅葉が見られます。

問題は予算と人手の不足によりこの公園の手入れがほとんどできていないことです。

先月、役場の産業環境課(私が所属している)で駐車場だけは草刈りをしましたが、広大な公園全体の手入れにはまだまだ行き届きません。ちなみに駐車場は産業環境課と高齢者事業団の手を借りてとてもきれいに草刈りができています。駐車場とその周辺だけはオススメできます。

そこで話は本題に戻りますが、この公園、私が自由に手入れをしても誰からも苦情が出ないそうです。むしろやってくれるとありがたいと。下草を刈ったり、渓流の流木を取り除いたり、雑草を刈ったり、池のメダカを育てたり、などなどなど。好きにして良いと。

ひとつの山と谷と渓流を自分の自由にできる。

なぜか山を手に入れたような満ち足りた気持ちになります。

今日、産業環境課の達人から手入れの方法を教わりに公園へ行きました。そこでばったり公園に遊びに来ていた男性と遭遇。お互いに心臓が止まるほどビックリしました。今はもうこの公園を訪れる人はほとんどいなくなっているからです。「人に会うよりもイノシシに会うほうが確立高い」と同行した達人も笑っていました。

少しずつ公園の手入れをして往年のにぎやかだったころの錦山公園を復活させる。

新しい野望を手に入れました。

いつのまにナチュラリストに

日高村のような自然の豊かなところに引っ越してきておいて、私はそれほど自然が好きなほうではありませんでした。

自然を求めて移住したわけではなく、よりやりがいのある仕事を求めて日高村に来ました。人口減少と高齢化社会を生き抜く方法を見つけるのが移住の目的です。この目的に関わる仕事ができれば都会でも田舎でもよかったのですが、都会では過疎も高齢化も現実的ではないので地方移住を決めました。

日高村を選んだのも、ここが過疎と高齢化に悩む地域でありながら、高知市の市街地に近いからです。たとえ田舎へ移住しても都会暮らしの便利さをできるだけ失いたくなかったのが本音です。畑をやる気もなかったですし、山や森を歩く気もありませんでした。車で30分でイオンモールへ行けるのが日高村に決めた理由と言ってもよいくらいです。

ところが4月、実際に引っ越してみると、いわゆるナチュラリストの人が喜びそうな環境がばっちりそろっていました。まず家には立派な畑が付いていて自由に耕してよいと言われました。もちろん耕すつもりはまったくなかったのですが、放っておくと雑草が大変なことになるので嫌々草刈りをしました。するとなぜか夏には枝豆とトマトとナスを収穫し、今はサツマイモを収穫しています。サツマイモは手で触るとベトベトするくらい蜜でいっぱいです。畑もけっこう楽しいものです。

草刈りは日高村の暮らしでは必須なので、自分に刈られる不幸な植物たちをじっと見ているとつい名前を知りたくなってしまい、今では植物と親しむ生活を送っています。今、庭にはツワブキの花が咲いています。

また毎朝いろんな種類の鳥の鳴き声に起こされ、外に出ると見たこともない鳥がいるので、野鳥の観察も生活の一部になりました。

今日の野鳥。ジョウビタキの鳴き声。ジョウビタキ

ナチュラリストをネットで調べると「自然に関心をもって、積極的に自然に親しむ人。また、自然の動植物を観察・研究する人」(デジタル大辞泉より)だそうです。私もいつのまにかナチュラリストの入り口に立っているようです。

自然が身近にあると自然にナチュラリストになるのかもしれません。

オムライス街道デザインコレクション

トマトのおいしい食べ方はいろいろありますが、日本人にはオムライスが一番。

そんな考えのもと、トマトの名産地日高村ではオムライスによる村の活性化に取り組んでいます。

トマトやオムライスをテーマに村の小中学生がデザインした帽子を、一人の村の女性が手縫いで製作してくれました。その数、約10点。今日はその写真撮影会が村の小学校でおこなわれました。公開前なので作品の写真を載せることはまだできませんが、子どもたちのデザインした帽子は夢いっぱいのファンシーでカラフル、キュートでおちゃめな作品ばかりです。この模様は近日中に高知新聞に載る予定です。

その一部の写真がこちら。

たった一人で全部の帽子を製作してくれた女性が、余った材料で作ったもへいくんがこちら。

若いデザイナーのみんなは自分の描いた作品が、実際に形になったのを見て嬉しいような恥ずかしいような表情を浮かべていました。

オムライスで村おこし?とよく聞かれます。

オムライスで本当に村が活性化するかどうか正直確信は持てません。

しかし日高村ではオムライスで毎日たくさんの笑顔が生まれています。

笑顔の先には楽しい未来が待っていると、オムライス帽子をかぶる子どもたちの表情は語っていました。

森の暗号

日高村の霊山大滝山は、4月にこの村に来て以来何度が登っていますが、訪れる度に違う表情を見せてくれます。季節によってももちろん違いますし、同行者によってもこの山はまったく違う印象になります。

四国特有の複雑な地層はその上に多種多様な植物の森を作り出しました。さらに信仰の対象でもあり修行の山でもあった大滝山は、豊かな自然と人の営みとが複雑なモザイクを描く不思議な山です。

今日は山の麓にある護国寺の住職さんの案内で大滝山を歩きました。最近よく行動を共にする日高村の仙人ご夫婦もご一緒です。大滝山の霊性と自然の両方を満喫できる絶好のイベントです。

かつて仙人が素手でマムシをさばいたエピソードはこちらをご覧ください。

大滝山の霊的な雰囲気とご住職の法衣に触発されたのでしょうか、78才仙人の死生観を聞けたのは収穫でした。「死後の世界などない」「わしは死ねば肥料になる」。

終末期医療にかかわった前職で覚えた知識によると、死後の世界を否定するメリットは、一度しかない人生をできるだけ有意義に生きようとする強い意欲を持てることにあると言われています。まさにこの理論の通り仙人は生きる意欲に満ちています。好奇心と情熱と他者への愛に満ちています。ただ私の経験上、死後の世界を否定して活き活きと生きている人は仙人の他に会ったことがありません。やはり仙人は特別です。

ついでに私の死生観は死後の世界も今も過去も未来もすべてこの一瞬に存在するという感覚です。将来私が死んだあと死後の世界に行くかわかりませんが、今この瞬間この場所に死後の世界を含めた時間と空間がある感覚があります。終末期の現場に10年以上かかわった後遺症かもしれません。この感覚のメリットは毎日が寂しくないということです。心を向ければそこに亡くなった懐かしい人を感じます。

今回ご住職と登る大滝山のイベントのクライマックスは山での瞑想です。

瞑想が三度の飯よりも大好きな私ですが、実は森の中、人間の作ったもの以外の場所で瞑想をするのは初めてでした。

瞑想をすると感覚が鋭くなる時があります。

今回も周囲の音が大きく聞こえるようになってきました。

知らない鳥の声、知らない虫の音、鳥でもない虫でもない何か知らない音。これら迫ってくる森の暗号に私の心は占められていました。そしてこの暗号を解いてみたいという欲求が沸き上がってきました。もっと自然の謎を知りたいと。

太古の昔、宗教と科学が生まれたのはこんな欲求からだったのかもしれません。

そんな遠い感覚をこの身に感じながら充実した瞑想ができました。

大滝山には何度も通いたくなる森があります。

コウモリにも出会いました。

もちまきにもえる

四国のイベントや慶事は舞台からたくさんのお餅を投げて幕を開けます。

この「もちまき」で投げられるお餅を目当てにたくさんの人が集まります。その中には四国中のもちまきを渡り歩いている餅キャッチのプロ集団もいると聞きました。

今日「秋の砥部焼まつり」も盛大なもちまきでスタートしました。

私の初陣は餅ゼロであっさり終了。

一個も取れませんでした。

言い訳をさせてもらえると、餅の投げ手には愛媛マンダリンパイレーツのプロ野球選手が何人かいました。彼らはとてつもなく早くて重い餅を投げるのでキャッチするのは至難の技です。ものすごいスピードの餅が風を切って飛んでゆきました。身の危険すら感じる剛速球です。

愛媛のおばちゃんはバシッとキャッチしていましたが。

砥部焼は白と藍のシンプルな陶磁器です。

有田焼は派手すぎる。でもその他の焼き物は地味すぎると感じている人にはぴったりの陶磁器ではないでしょうか。

出店している窯元の職人さんに私と同姓の人がいました。

珍しい苗字なのでちょっとだけ意気投合。最近関東でこれもまた同姓の女性が犯罪の被害者になったニュースが出ていたので、同じ姓を持つ者同士悲しみを共有して別れました。

家に帰ると赤とんぼが。img_2155

秋も深まってまいりました。

 

かけがいのない微塵の一点。

「月世界旅行の夢が、ついに現実となる時代が訪れて、地球を旅立った宇宙飛行士たちが、宇宙船の中から見た地球は「蒼かった」と云う。その蒼い地球、百数十の国々幾十億の人類が共存共栄する地球、その中に微塵の一点にも足りない日高村こそ、わたちたちにとっては、かけがいのない郷土なのである。」。昭和51年刊行の「日高村史」はこの格調の高い文章で始まります。

全720ページに及ぶこの大著を1ページでも読めば、編纂委員たちが日高村を地球の「微塵の一点にも足りない」ちっぽけな村などとはまったく思っていないのは一目瞭然です。

「日高村史」には、神代の時代から昭和50年までの日高村の歴史、経済、社会、教育、文化などのあらゆる出来事があますことなく記録されています。

特に細かな出来事の記録については目を見張るものがあります。

例えば、129ページを読むと「当時郷民の家庭では、夜中の小便起きの禁忌(まじない)として 高知くぼうど(供奉人)がかかりましたので、あすの晩からええ参じません(よう来ません) という言葉を唱えたという。」と山内藩政時代の庶民のおまじないが記録されています。

また、労働習慣について記録した644ページの項目「小昼食の習慣(オヤツとも云う)」には「農繁の時期に於ては昼食と夕食との間に「オヤツ」と称して間食する習慣は今も行なわれている。」との記述が見られます。

どんな些細なことも漏らすまいとする編纂者の気迫を感じます。

さらに651ページ「おじゃみ歌」の記録には、

「おじゃみ、おふたおふた、おみいおみい、およう、なってくりよ、とんきり。」と書かれています。お手玉の歌でしょうか。

神は細部に宿るという言葉があります。

私にはこの書物が、とても神聖なものに思えます。

「日高村史」を読み進むほど、私のようなよそ者にもここが「かけがいのない郷土」に感じられてきます。

村の歴史は、人の人生そのものです。

そして、日高村の歴史は、長い水害との闘いの歴史でもあります。

225ページ、農作物、水稲の項には「広大な低湿地帯は毎年二、三回の出水に一望の大海と化し、その滞留水は冠水して数日に及び、秋の稔りも刈り取り前一瞬にして皆無にすることが常であった」とあります。

この「日高村史」が書かれたのが、多数の死者を出した昭和50年の水害の年であることにも意味が感じられます。

行間には、水害を越えて立ち上がる日高村の不屈の精神があふれています。dsc_0572

 

冬のカエルはどこで寝る。

小さなカエルがわが家の軒下に住みついています。

秋も深まり、どうもこのカエルが冬眠場所を探しているようです。

カエルについて詳しいわけではありませんが、緑の体が白っぽくなってきているし、太って動きが鈍っているし、なによりとても眠そうです。

ただ困ったことに、どうもこのカエル、冬眠場所を物干しざお付けている小物入れを選んだらしい。

こんな場所で無事に冬が越せるのでしょうか?

やはり冬眠は湿って暖かい土の中で送ってほしいものです。

しかし何度この小物入れから追い出しても、すぐにこの場所から戻ってきてしまいます。

お気に入りの場所を奪ってしまうのはとても心苦しかったのですが、

来年も元気な姿をみせてほしいので、小物入れは取っ払ってしまいました。

カエルは不満げに土の上へと飛んでいきました。

また来年会いましょう。

今日、トンボを好きになる。

上の写真にトンボが飛んでいるが見えますか?

日高村には、約70種のトンボがいます。

日本には約200種のトンボがいるので、その3分の1を日高村で観察することができます。

日高村のトンボの中には、きれいな水でしか生きられないような貴重なトンボもいます。

そうは言っても、正直トンボはそんなに好きではありませんでした。

どちらかというと、人間以外では、小動物や小鳥のようなふわふわしたのが好きです。

日高村には、アナグマやもちろんイノシシ、そして珍しい小鳥がたくさんいます。

トンボに頼らなくても他の生物で十分村おこしができると、

今日まで考えていました。

小さな子どもの頃、母は私の持ち物に全部トンボの刺繡をしていました。

トンボを思うと、母や昔をせつなく想い出します。

それでも生きたトンボにはあまり思い入れがありませんでした。

今朝、出勤すると来春出版予定の日高村トンボ事典(仮題)の原稿が一枚置いてありました。

「トンボも意外とおもしろいかも」

そう思ってネットで調べてみると、日本人とトンボはとても仲が良いのを知りました。

日本書紀では、日本のことを「あきつくに」というそうです。

「あきつ」とはトンボのことです。

前進しかできないトンボは武士からも好かれていました。

いつの間にか私もトンボ好きの一員です。

私が単純だというわけではなく、トンボが面白いからです。たぶん。

最近いつも帰り道の田んぼにいるトンボはウスバキトンボだということも知りました。

夕方5時の時報が、隣のいの町ではトンボの歌だと知りました。

「今日の帰りはウスバキトンボに挨拶していこう」

しかし今日に限ってウスバキトンボはどこかに行っていなくなっていました。

不思議な奴らです。

来年には日高村トンボ博士になる予定でいます。

これが何トンボなのかはまだわかりません。

日高村役場の写真アーカイブで見つけました。

 

忍者もへいくん、その隠密すぎる活動。

ひなまつりの準備が始動しました!

来年の日高村酒蔵(さかぐら)のひなまつりに向けて、直前になってバタバタしないように10月の今日スタートしました。

きっと去年はすごいバタバタだったに違いないと思われます。

まだまだ知らない日高村が多いのに、なんでも知っているかのように一度も見たこともないイベントをラジオで紹介していた自分をほほ笑ましく思い出します。

それはともかく、

来年の「ひだかさかぐらひなまつり」では、1月中旬から巨大ひな人形の制作を始めます。

1か月以上かけて作られる巨大ひな人形、とても楽しみです。

これが日高酒蔵。

昔の写真です。

今は煙突が短く切られています。

もっと重要なのは、今はもう酒は造られていません。

昔は「松の緑」という銘酒が造られていました。

「ひだかさかぐらひなまつり」(今日の会議で平仮名表記が決定しました)には、忍者の「もへいくん」も登場します。

これが、もへいくんⓇ

このもへいくんが、ニューヨーク、パリ、東京ではあまり知られていないのはわかっていました。

しかし、ここ高知では有名だと、土佐言葉を話す人なら全員知っていると思っていました。

どうも違うようです。

一昨日、四万十市中村で出会った人たちは誰ももへいくんのことを知りませんでした。

「どこの忍者?伊賀?甲賀?」

「もへいくんは、フリーランスの忍者です」

もへいくんこと「日下茂平(くさかもへい)」とは、

江戸時代、身分違いの恋に破れた日下村(現、日高村)の青年茂平は、世をはかなんで猿田洞という深い洞窟に入ります。そこで天狗仙人と出会い忍術秘術の数々を学んだ茂平は、忍者茂平として成長し、高知城下の富豪の家から金品を盗んでは貧しい人に配っていたそうです。ある日、酔っぱらった茂平は親友の佐川市之丞とともに逮捕されます。死罪になる直前、茂平は鷹に化け、同じくネズミに化けた市之丞をくちばしにくわえ、いずこへと飛び立っていったそうです。

以来、茂平の行方は誰も知りません。

念のために申し上げると、日下茂平は実在の人物です。

それから数百年、忍者茂平はゆるキャラ「もへいくん」として生まれ変わりました。

高松にて仲間たちと偉い人をお迎えするもへいくんⓇ

時代は変わります。

それでももへいくんは忍者なので、どうも隠密行動が多いようで、あまり人に知られることがありません。

須崎市のゆるきゃらまつりでは、ある少年に「一番好きなのは、ふなっしーと赤い忍者」と言われたくらいおちゃめなやつなのでもっと有名になってもいいと思うのですが…。

きっと今はどこかで親友のしんじょうくんがゆるキャラグランプリで一位を獲るために隠密活動中です。

次に、もへいくんが現れるのは11/27開催の「第10回もへいマラソン」の予定です。

ちなみに私は、もへいくんが表で活動するときはたいてい同行しています。

中年、ラジオに緊張する。

40を越えて、初めての体験をするのはとても楽しいものがあります。

10代のころの初めての体験よりも40代の今の方がより刺激的でより新鮮な初体験になるのではないでしょうか?

日高村で、生まれて初めてラジオに出演しました。

RKC高知放送のラジオ番組『ぱわらじっ』に出演して、日高村の11月のイベントを紹介しました。http://www.rkc-kochi.co.jp/radio/powerradi1/

うれし恥ずかしラジオ出演。

緊張にドキドキする40代のおやじ。

自分で自分が可笑しくなります。

日高村で暮らし始めて初めて体験したものはラジオだけではありません。

草刈り、太刀踊り、カヌー、ゆるキャラの舞台裏、崖っぷちのガードレールのない車一台の幅もない道をドライブ、夜中の川エビ採り、畑仕事、野鳥の観察、イノシシ狩り、マムシ、かんたろう、野うさぎ、アナグマ、洞窟のコウモリ、などなどなど。

仁淀川を飛び跳ねながら海へと下る鮎。などな。

小学生のようにテンションが上がる40代。

人生が80年だとすると、その折り返し地点でもう一度人生をやり直すのもいいものです。