星空のゲストハウス

埼玉県川越市からわざわざ車を運転して来てくれた6人の友人を越知町のゲストハウス「縁」にご案内しました。「縁」は越知町の山深い場所にあります。県道を折れて曲がりくねった山道を車で走り「まだ着かない」と心折れること数回、ようやくゲストハウス「縁」にたどり着きました。

築70年の古民家を改装した「縁」は山の頂上付近の開けた明るい場所にあります。

遠くには日高村白髭地区の山も見えます。

客商売の常として、お客さんが満足してくださっているかはいつも心配になります。お世辞にも若いとは言えない今回のお客さんを長い山道を連れてきてしまい正直心配でした。

しかし、そんな心配はオーナーさん母子のきめ細やかな心配りと、仁淀川流域お得意の満天の星空+流れ星が一掃してくれました。川越の皆さんはゲストハウス「縁」に泊まれることを心から喜んでおられました。もちろん日本人は気を使うので本音を言わない場合もありますが、今日の皆さんは必ずリピーターになってくれるはずです。いちおう長年対人商売をやってきた私のカンはたまにしかハズれません。

それにしても飲むたびに名酒「司牡丹」はおいしくなります。たび重なる返杯によって私の血中「司牡丹」濃度が上がっているためか、あるいは普段飲んでいる仁淀川の水と同じ水で「司牡丹」が造られているためか、「司牡丹」がとても愛おしくなっています。

鮎だのツガニだのウナギだの川の名物が食べられなくても、仁淀川水系の水で作られた「司牡丹」を飲んでくれればお客さんには満足していただけるのではないでしょうか。もちろん日本酒が飲めない方には無理ですが。

悲しいことに仁淀川の観光は、星空を代表として天気に左右されるものばかりです。「仁淀川観光を殺すには刃物はいらない、雨の3日も降ればよい」ということわざを思い出します。

ゲストハウス「縁」のキャンプファイヤー。火は水を嫌う(東洋医学の法則)。

13時間かけて来てくれました

50代から80代のお世辞にも若いとは言えない6人が埼玉県川越市からここ高知へ遊びに来てくれました。なぜか車を運転して。かかった時間は13時間。6人の疲労が心配です。ただ車社会の高知にとっては一番ありがたい観光客です。明日はまた運転して黒潮本陣で温泉です。ともかく無事に到着してくれてなによりでした。

今夜は明神丸本店で、埼玉では決して食べることができないおいしい料理を食べてもらいました。

6人のうち一人は川越で町おこしの仕事をしているそうです。川越市は埼玉県の一地方都市ですが、人口は高知市よりも2万人ほど多く、年間の観光客数は約600万人と高知県全体よりも200万人も多い自治体です。

「川越とはずいぶんと生ぬるい所で町おこしをやってらっしゃいますね。川越ではいったい何を『おこす』んですか?」そんな皮肉を言ってみました。

話を聞くと、川越も急速に地域社会が崩壊しているようです。人口が増えているのに地域が廃れるとはいったいどういうことなのか。実は、肝心のそこのところを聞かずに今日は終わってしまいました。皮肉をぶつけて満足してしまった自分に後悔です。

まあ、人口減少は日本全体の問題でもあるので、人口の増えている川越であってもなんらかの地域の歪みがあってもおかしくはないはずです。

日本は個性豊かなたくさんの小さな地域社会が集まってできている国だと思います。仁淀川流域の6つの市区町村はそれぞれ違う個性を持っていますし、日高村の中でも日下と加茂と能津では違いがあります。さらに同じ日下でも沖名と下分とではやはり違います。ましてや高知と川越では大きな違いがあるはずです。世界から見れば単一民族に見える日本も中から見ればかなり多様性に富んでいます。

なので日本全体で人口減少高齢化の共通した問題があるとしても、その対処法を霞が関の一か所で決めてうまくいくものでしょうか。やはりその土地にはその土地に合った対処法があるはずです。

13時間の距離は大きいと考えた方がよさそうです。

地域おこし成功の鍵は、遠い東京にではなく、足元にあります。

カツオを焼く炎。

 

笑み食堂

高知に来て本当に良かった思えるいくつかの瞬間のうちトップ3くらいに入るのが、飲み会に参加した時です。料理と日本酒があまりにもおいしいのでおとぎ話の竜宮城に来たかのような錯覚を覚えます。もちろん竜宮城には行ったことはありませんが。

昨日は職場の飲み会で、職場の職員御用達の「えみ食堂」で飲み会でした。えみ食堂は食材の仕入れに評判が高く地元のみならず高知の旬の食材を使ったおいしい料理をいつも出してくれます。昨日もクジラの鍋と鴨の鍋、なんだかわからないけれどプリプリのうまい刺身、ウツボのたたき、ジューシーなから揚げ、明太子の入った鶏もも、新鮮な地のもののサラダなどおいしいものだらけでした。鴨はおそらくその辺を飛んでいた新鮮なもので、クジラもおそらくその辺の海を泳いでいた新鮮なものに違いないと思える絶品でした。

土佐流の酒の飲み方にもだいぶ慣れてきました。「返杯」という飲み方で一つのお猪口でお互いに酒を注ぎ合います。飲んではお猪口を相手に渡し相手が飲んではこちらにお猪口が返ってくる。お猪口が行ったり来たり、それが永遠に続きます。昨日もまばたきをするペースよりも早く日本酒を飲み続けました。

えみ食堂は良心的な店なのでお猪口は小さめで助かります。もっと良心的な店では湯のみ茶碗みたいなので返杯をやらねばなりません。でも大丈夫。高知は水が良いので悪酔いしません。ありがとう仁淀川ありがとう司牡丹。

さんざん酒を飲んだ後のシメはのんびり千鳥足で、満天の星空を楽しむことです。宇宙の中心にいる感覚。いつまでも家に着きたくないと思いながら歩きます。これも高知に来て良かった思える瞬間です。

 

山を手に入れる

表題を間違えました。正しくは「山に手を入れる」です。しかし間違えた表題のほうが景気が良いのでそのままにしておきます。

村営錦山公園は、ひとつの山と谷と渓流の自然公園です。

蛇紋岩という特殊な地層のおかげで珍しい植物にあふれています。

まもなくドウダンツツジが真っ赤に色づき見事な紅葉が見られます。

問題は予算と人手の不足によりこの公園の手入れがほとんどできていないことです。

先月、役場の産業環境課(私が所属している)で駐車場だけは草刈りをしましたが、広大な公園全体の手入れにはまだまだ行き届きません。ちなみに駐車場は産業環境課と高齢者事業団の手を借りてとてもきれいに草刈りができています。駐車場とその周辺だけはオススメできます。

そこで話は本題に戻りますが、この公園、私が自由に手入れをしても誰からも苦情が出ないそうです。むしろやってくれるとありがたいと。下草を刈ったり、渓流の流木を取り除いたり、雑草を刈ったり、池のメダカを育てたり、などなどなど。好きにして良いと。

ひとつの山と谷と渓流を自分の自由にできる。

なぜか山を手に入れたような満ち足りた気持ちになります。

今日、産業環境課の達人から手入れの方法を教わりに公園へ行きました。そこでばったり公園に遊びに来ていた男性と遭遇。お互いに心臓が止まるほどビックリしました。今はもうこの公園を訪れる人はほとんどいなくなっているからです。「人に会うよりもイノシシに会うほうが確立高い」と同行した達人も笑っていました。

少しずつ公園の手入れをして往年のにぎやかだったころの錦山公園を復活させる。

新しい野望を手に入れました。

いつのまにナチュラリストに

日高村のような自然の豊かなところに引っ越してきておいて、私はそれほど自然が好きなほうではありませんでした。

自然を求めて移住したわけではなく、よりやりがいのある仕事を求めて日高村に来ました。人口減少と高齢化社会を生き抜く方法を見つけるのが移住の目的です。この目的に関わる仕事ができれば都会でも田舎でもよかったのですが、都会では過疎も高齢化も現実的ではないので地方移住を決めました。

日高村を選んだのも、ここが過疎と高齢化に悩む地域でありながら、高知市の市街地に近いからです。たとえ田舎へ移住しても都会暮らしの便利さをできるだけ失いたくなかったのが本音です。畑をやる気もなかったですし、山や森を歩く気もありませんでした。車で30分でイオンモールへ行けるのが日高村に決めた理由と言ってもよいくらいです。

ところが4月、実際に引っ越してみると、いわゆるナチュラリストの人が喜びそうな環境がばっちりそろっていました。まず家には立派な畑が付いていて自由に耕してよいと言われました。もちろん耕すつもりはまったくなかったのですが、放っておくと雑草が大変なことになるので嫌々草刈りをしました。するとなぜか夏には枝豆とトマトとナスを収穫し、今はサツマイモを収穫しています。サツマイモは手で触るとベトベトするくらい蜜でいっぱいです。畑もけっこう楽しいものです。

草刈りは日高村の暮らしでは必須なので、自分に刈られる不幸な植物たちをじっと見ているとつい名前を知りたくなってしまい、今では植物と親しむ生活を送っています。今、庭にはツワブキの花が咲いています。

また毎朝いろんな種類の鳥の鳴き声に起こされ、外に出ると見たこともない鳥がいるので、野鳥の観察も生活の一部になりました。

今日の野鳥。ジョウビタキの鳴き声。ジョウビタキ

ナチュラリストをネットで調べると「自然に関心をもって、積極的に自然に親しむ人。また、自然の動植物を観察・研究する人」(デジタル大辞泉より)だそうです。私もいつのまにかナチュラリストの入り口に立っているようです。

自然が身近にあると自然にナチュラリストになるのかもしれません。

オムライス街道デザインコレクション

トマトのおいしい食べ方はいろいろありますが、日本人にはオムライスが一番。

そんな考えのもと、トマトの名産地日高村ではオムライスによる村の活性化に取り組んでいます。

トマトやオムライスをテーマに村の小中学生がデザインした帽子を、一人の村の女性が手縫いで製作してくれました。その数、約10点。今日はその写真撮影会が村の小学校でおこなわれました。公開前なので作品の写真を載せることはまだできませんが、子どもたちのデザインした帽子は夢いっぱいのファンシーでカラフル、キュートでおちゃめな作品ばかりです。この模様は近日中に高知新聞に載る予定です。

その一部の写真がこちら。

たった一人で全部の帽子を製作してくれた女性が、余った材料で作ったもへいくんがこちら。

若いデザイナーのみんなは自分の描いた作品が、実際に形になったのを見て嬉しいような恥ずかしいような表情を浮かべていました。

オムライスで村おこし?とよく聞かれます。

オムライスで本当に村が活性化するかどうか正直確信は持てません。

しかし日高村ではオムライスで毎日たくさんの笑顔が生まれています。

笑顔の先には楽しい未来が待っていると、オムライス帽子をかぶる子どもたちの表情は語っていました。

森の暗号

日高村の霊山大滝山は、4月にこの村に来て以来何度が登っていますが、訪れる度に違う表情を見せてくれます。季節によってももちろん違いますし、同行者によってもこの山はまったく違う印象になります。

四国特有の複雑な地層はその上に多種多様な植物の森を作り出しました。さらに信仰の対象でもあり修行の山でもあった大滝山は、豊かな自然と人の営みとが複雑なモザイクを描く不思議な山です。

今日は山の麓にある護国寺の住職さんの案内で大滝山を歩きました。最近よく行動を共にする日高村の仙人ご夫婦もご一緒です。大滝山の霊性と自然の両方を満喫できる絶好のイベントです。

かつて仙人が素手でマムシをさばいたエピソードはこちらをご覧ください。

大滝山の霊的な雰囲気とご住職の法衣に触発されたのでしょうか、78才仙人の死生観を聞けたのは収穫でした。「死後の世界などない」「わしは死ねば肥料になる」。

終末期医療にかかわった前職で覚えた知識によると、死後の世界を否定するメリットは、一度しかない人生をできるだけ有意義に生きようとする強い意欲を持てることにあると言われています。まさにこの理論の通り仙人は生きる意欲に満ちています。好奇心と情熱と他者への愛に満ちています。ただ私の経験上、死後の世界を否定して活き活きと生きている人は仙人の他に会ったことがありません。やはり仙人は特別です。

ついでに私の死生観は死後の世界も今も過去も未来もすべてこの一瞬に存在するという感覚です。将来私が死んだあと死後の世界に行くかわかりませんが、今この瞬間この場所に死後の世界を含めた時間と空間がある感覚があります。終末期の現場に10年以上かかわった後遺症かもしれません。この感覚のメリットは毎日が寂しくないということです。心を向ければそこに亡くなった懐かしい人を感じます。

今回ご住職と登る大滝山のイベントのクライマックスは山での瞑想です。

瞑想が三度の飯よりも大好きな私ですが、実は森の中、人間の作ったもの以外の場所で瞑想をするのは初めてでした。

瞑想をすると感覚が鋭くなる時があります。

今回も周囲の音が大きく聞こえるようになってきました。

知らない鳥の声、知らない虫の音、鳥でもない虫でもない何か知らない音。これら迫ってくる森の暗号に私の心は占められていました。そしてこの暗号を解いてみたいという欲求が沸き上がってきました。もっと自然の謎を知りたいと。

太古の昔、宗教と科学が生まれたのはこんな欲求からだったのかもしれません。

そんな遠い感覚をこの身に感じながら充実した瞑想ができました。

大滝山には何度も通いたくなる森があります。

コウモリにも出会いました。

もちまきにもえる

四国のイベントや慶事は舞台からたくさんのお餅を投げて幕を開けます。

この「もちまき」で投げられるお餅を目当てにたくさんの人が集まります。その中には四国中のもちまきを渡り歩いている餅キャッチのプロ集団もいると聞きました。

今日「秋の砥部焼まつり」も盛大なもちまきでスタートしました。

私の初陣は餅ゼロであっさり終了。

一個も取れませんでした。

言い訳をさせてもらえると、餅の投げ手には愛媛マンダリンパイレーツのプロ野球選手が何人かいました。彼らはとてつもなく早くて重い餅を投げるのでキャッチするのは至難の技です。ものすごいスピードの餅が風を切って飛んでゆきました。身の危険すら感じる剛速球です。

愛媛のおばちゃんはバシッとキャッチしていましたが。

砥部焼は白と藍のシンプルな陶磁器です。

有田焼は派手すぎる。でもその他の焼き物は地味すぎると感じている人にはぴったりの陶磁器ではないでしょうか。

出店している窯元の職人さんに私と同姓の人がいました。

珍しい苗字なのでちょっとだけ意気投合。最近関東でこれもまた同姓の女性が犯罪の被害者になったニュースが出ていたので、同じ姓を持つ者同士悲しみを共有して別れました。

家に帰ると赤とんぼが。img_2155

秋も深まってまいりました。

 

かけがいのない微塵の一点。

「月世界旅行の夢が、ついに現実となる時代が訪れて、地球を旅立った宇宙飛行士たちが、宇宙船の中から見た地球は「蒼かった」と云う。その蒼い地球、百数十の国々幾十億の人類が共存共栄する地球、その中に微塵の一点にも足りない日高村こそ、わたちたちにとっては、かけがいのない郷土なのである。」。昭和51年刊行の「日高村史」はこの格調の高い文章で始まります。

全720ページに及ぶこの大著を1ページでも読めば、編纂委員たちが日高村を地球の「微塵の一点にも足りない」ちっぽけな村などとはまったく思っていないのは一目瞭然です。

「日高村史」には、神代の時代から昭和50年までの日高村の歴史、経済、社会、教育、文化などのあらゆる出来事があますことなく記録されています。

特に細かな出来事の記録については目を見張るものがあります。

例えば、129ページを読むと「当時郷民の家庭では、夜中の小便起きの禁忌(まじない)として 高知くぼうど(供奉人)がかかりましたので、あすの晩からええ参じません(よう来ません) という言葉を唱えたという。」と山内藩政時代の庶民のおまじないが記録されています。

また、労働習慣について記録した644ページの項目「小昼食の習慣(オヤツとも云う)」には「農繁の時期に於ては昼食と夕食との間に「オヤツ」と称して間食する習慣は今も行なわれている。」との記述が見られます。

どんな些細なことも漏らすまいとする編纂者の気迫を感じます。

さらに651ページ「おじゃみ歌」の記録には、

「おじゃみ、おふたおふた、おみいおみい、およう、なってくりよ、とんきり。」と書かれています。お手玉の歌でしょうか。

神は細部に宿るという言葉があります。

私にはこの書物が、とても神聖なものに思えます。

「日高村史」を読み進むほど、私のようなよそ者にもここが「かけがいのない郷土」に感じられてきます。

村の歴史は、人の人生そのものです。

そして、日高村の歴史は、長い水害との闘いの歴史でもあります。

225ページ、農作物、水稲の項には「広大な低湿地帯は毎年二、三回の出水に一望の大海と化し、その滞留水は冠水して数日に及び、秋の稔りも刈り取り前一瞬にして皆無にすることが常であった」とあります。

この「日高村史」が書かれたのが、多数の死者を出した昭和50年の水害の年であることにも意味が感じられます。

行間には、水害を越えて立ち上がる日高村の不屈の精神があふれています。dsc_0572

 

冬のカエルはどこで寝る。

小さなカエルがわが家の軒下に住みついています。

秋も深まり、どうもこのカエルが冬眠場所を探しているようです。

カエルについて詳しいわけではありませんが、緑の体が白っぽくなってきているし、太って動きが鈍っているし、なによりとても眠そうです。

ただ困ったことに、どうもこのカエル、冬眠場所を物干しざお付けている小物入れを選んだらしい。

こんな場所で無事に冬が越せるのでしょうか?

やはり冬眠は湿って暖かい土の中で送ってほしいものです。

しかし何度この小物入れから追い出しても、すぐにこの場所から戻ってきてしまいます。

お気に入りの場所を奪ってしまうのはとても心苦しかったのですが、

来年も元気な姿をみせてほしいので、小物入れは取っ払ってしまいました。

カエルは不満げに土の上へと飛んでいきました。

また来年会いましょう。