顔の見える仏教

今日は日高村護国寺の仏教勉強会。

インドに始まった仏教の歴史も9回目の今は中国まできています。この会も次回で一区切り。いったん終了だそうで、毎月楽しみにしていたので残念です。

私にとって仏教史の勉強をするのは今回が初めてで、仏教の歴史はすなわち仏教を作ってきた「人」の歴史でもあり、

宗教は人間世界とは別の特殊な世界だと思ってきた私にとって、毎回新鮮な発見とうれしい共感にあふれた会でした。

おかげで仏教が身近になりました。

昔勤めていた病院の院長は、毎朝診察前に必ず延命十句観音経というお経を唱えていたのを思い出します。

それを聞いても当時は何とも思っていません。私たちの患者さんはみんな重いがんを患っていて、お経を唱えるくらいで治るとは思えなかったからです。

今勉強会を経て当時を振り返ってみると、

重要なのはお経を唱えてがんが治るかどうかではなく、院長が患者さんのために毎朝真剣に祈る行為自体が大切だったのだと分かります。

誰かのために祈ることは仏教そのものです(と思います)。

うちの院長の祈りは、仏教を作ってきた何万人ものえらいお坊さん方、さらにはお釈迦様とつながっていると護国寺の勉強会を通じて感じました。

院長だけではなく、熱心にお経を読んでいる人、心を込めて手を合わせている人、祈っている人はみんな仏教の偉大な先人とお釈迦様とつながっている。

そんな深い安心感を得られる勉強会でした。

院長はどんな患者さんからも信頼され愛されていたのを思い出します。

まだ来月一回ありますが、すでに勉強会の再開がとても楽しみです。




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