静けさには価値がある

とにかく高尾山にはたくさんの人がいました(写真は頂上)。

どこを歩いていても必ずどこからか人の声が聞こえてきます。

基本、山へ入ったら自分以外にあるのは自然だけ。鳥の声と風の音しか聞こえない日高村とは好対照です。

高尾山の標高は約500メートルで、日高村の山々はだいたいその半分の高さ。

ただ高知の山は急峻で森も深く見晴らしもよく、高尾山と同じくらいの高さに感じます。

以前、高知の老人に「日高村の山を登山者でいっぱいにしたい」と伝えたところ、「高知の人間はあんな低い山には登らん」と一蹴されたことがあります。

こうして高尾山のにぎやかさを目の当たりにすると日高村の山の未来にも希望が持てそうです。

昔調べたところによると、植物も動物も野鳥も種類数は高尾山も日高村もほぼ同じでした。

さらに両者とも霊山としての歴史があり、きれいな水が湧いている場所もあります。

東京の人にも日高村の山はおススメです。

もちろん何もかも高尾山と同じでは誰もわざわざ飛行機に乗って日高村まで来てはくれません。

日高の山には、高尾山にはない本物の静けさがあります。

日高の山にあるのは地球が創り出した自然の音だけ。人間由来の音は一切ありません。

この静けさは、地元の人にとってはどこにでもある当たり前のもので、また都会の人にとっては体験したことがない未知のものなので、どちらにもその価値は理解されていません。

しかし高尾山に登っている人は本物の静けさを求めているのではないでしょうか。

普段から人工的な音にいつも囲まれている都会の人は、意識はしていなくても高尾山に来て自然の音だけに囲まれたいと思っていると思われます。

というのも、高尾山に来ている人たちを見ると、ほとんどの登山者は二人組または一人。

グループでワイワイ騒ぎながら来ているのは、無理矢理連れてこられている小学校やスポーツチームの子どもたちか、合コン代わりに高尾山を使うどこかの大学のサークルくらい。

多くの人たちが少人数で来ているのは、人から離れて自然と直接触れ合いたいからではないでしょうか。

残念ながら高尾山は人が多過ぎて本当の静けさはありません。

一方日高村の山々には本物があります。

飛行機にさえ乗ってくれれば高知空港からわずか1時間、高尾山のように気楽に安全に登れる山が日高村にはあり、一歩足を踏み入れればそこには自分以外一人もいない地球が広がっています。

問題は2つ。

一つは、日高村で整備されているコースは今のところ大滝山だけ。他の山はまだ未整備なので危険です。

(何年か後に日高村へ戻ったら、今は使われていない山道を再発見するのが私の夢です。)

もう一つは、静けさを求めてたくさんの人がやって来てしまうと、静かではなくなってしまうことです。




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