昔、実家では二匹の猫と二匹の犬を飼っていました。
だいたい私は昔から金にならない仕事と金儲け以外の仕事が大好きで、
当時も犬猫の世話を本当によくしました。
みんなが順番に亡くなるまでの20年近く、
ずっと同じ布団で寝て、毎朝毎晩散歩にも連れて行っていました。
それだけに亡くなった時は心底悲しく、胸が張り裂けたものです。
さて、
二匹の猫について言えば、亡くなった後に不思議なことがありました。
ある日、母と二人で台所の丸い食卓に座り食事を取っていると、
私の足元を尻尾を立てた猫がすり抜けていく感覚がしました。
ハッとして顔を上げると、母もハッとして顔を上げています。
「アイ(亡くなった猫の名前)だ!」と母はびっくりしていましたが、
びっくりしたのは私も同じ。
私も数ヶ月前に亡くなったアイの気配を感じていたからです。
挨拶に来てくれたんだね。と二人でしんみりしたのを覚えています
もう一匹の猫は、
亡くなって数ヶ月後、犬の散歩に多摩丘陵の森の中を歩いている時のことです。
ふと気がつくと、一面に広がる熊笹の向こうに一匹の白い猫が顔を出してこっちを見ています。
くり(亡くなった猫の名前)?と思いました。
私が持っていたカメラを向けて写真を撮ると、猫はじっとしてまだこっちを見ています。
この時撮った写真を後で見返すと、やはり猫はくりにそっくり。今でも亡くなったくりとしか思えません。
写真を撮り終えると私は「くり!」と叫んで一歩近づきました。くりだったらこっちへ来てくれる。再会を喜んでくれると思ったのに、白い猫は無情にもサッと熊笹の下に隠れてしまいました。
慌てて追いかけたのに猫の姿はもうどこにもありません。後ろ姿さえ見ることはできませんでした。
その時、草葉の陰に隠れるってのはこういうことか、死ぬってのは熊笹の下に隠れるようなものなのかもしれないなと思ったのを覚えています。
あれから今日まで、プライベートでも仕事でもたくさんの死と接してきましたが、死というのは熊笹の下に隠れるようなものだというあの時の考えは今もまったく変わりません。
亡くなった命は見えないだけで私たちのすぐ近くにいます。
いずれにせよ、亡くなっても挨拶に来るなんて、
意外と猫は情が深く律儀なところがあります。
よく猫は化けて出ると言われますが、化け猫の正体は案外こんなものではないでしょうか。
一方、犬はといえば亡くなったらそれっきり。
化け犬がいないのもうなずけます。薄情なものです。
幽霊でもいいから会いたいとこっちはずっと待っているのに、
うちの二匹は一度だってあの世から私たちの前に戻ってきたことはありません。
ずいぶん仲が良いと思っていたのに悲しいことです。
ただ犬たちの気持ちもわかります。
あいつらからしてみたら、面倒を見ていたのこっち(犬)の方で、長いことがんばって人間の世話をしてきたんだから、死んだらもういいかげんに解放してくれよと言いたいのでしょう。
今から思えば、
私は毎日犬に引かれて散歩へ連れて行ってもらっていました。