家のガスボンベ置き場のブロック塀と隣の家の法面との間に生えた木を切ることにしました。
この木にはちょっとしたいわくがありまして、
今を去ること30年ほど前だったでしょうか、私がまだ大学生かそこらで母がまだ生きていた頃のことです。
この木は招かざる場所に生えてきました。
木が成長してガスボンベ置き場のブロック塀を壊すと困るので、母が私に切るように頼んだところ、私はきっと面倒くさかったのでしょう。
「嫌だ」とぶっきらぼうな返事をしたと思います。
母は怒りました。もちろん母に怒られるのが日常だった私は意に介しません。
ただその時ふと見せた母の悲しげな表情がいつまでも心に引っかかりどうしても忘れられず、ようやく三日後くらいになって、
「お母さん、木を切るよ」と伝えたところ、今度は母が「もういい」とぶっきらぼうに言ってくれたので、この木は伐採の危機の逃れることになりました。
こんなことを30年間ずっと覚えていたわけではありません。むしろすっかり忘れていました。
ところがいざ切るべく木の前に立ってみると、不思議なことに記憶の深淵から浮かび上がるように忘れていたエピソードが心によみがえってきました。
母の頼みごとを30年後にやる息子。
とんでもない親不孝のようにも思えますが、反面考えようによっては親孝行ともいえます。やらないよりはまし、ということで。
ただもはやどっちだってかまいません。母はもうすでにこの世にいませんから。
さて、
昨日まず準備として作業の邪魔になる枝を落とし、今日再び訪れてみると、
木が泣いているじゃありませんか(写真)。
切った枝の切り口から水分が染み出ています。滴り落ちた水で幹が濡れるほどの量です。
「切らないでください」と言われている気がしてきました。
しかしそんなことを言われても、こちらもいろいろな因縁があり切らないわけにはいきません。
そこで仕方なく、お清めのため大事にちびちび呑んでいた秘蔵の日本酒司牡丹を惜しげもなく木に振りかけ、手を合わせ「次に生まれ変わる時はもっと広い場所へ生えてきてください」と言ってから作業にかかりました。
それにしてもこんなに水でビシャビシャの木は初めてです。
ノコギリを入れると濡れたおが屑がボタボタとこぼれ落ちます。
作業は難航を極めましたが、半日後木は伐採されました。
ところでこの木、種類はわかりません。切ってしまったので永遠にわからずしまいです。
これが切った後の断面。染み出た水分でびっしょり。