池田屋事件もう一人の主役

時は幕末。

深夜、漆黒の闇に包まれた京都池田屋には攘夷派の志士二十名余りが潜伏していた。

そこへ突入した新撰組隊士わずかに4名。

しかし殺気立つ志士たちを前にしても新撰組隊長近藤勇は一歩も引かない。

「御用改めである。手向かいする者は容赦なく斬る!」

にらみ合う両者。

緊迫した空気を破り一人の志士が刀を抜いた刹那、近藤は一刀のもとに彼を斬り捨てる。

20名以上の死傷者を出した池田屋事件はこうして幕を開けました。

歴史上この事件の主役は新選組。近藤勇、沖田総司、土方歳三、永倉新八。誰もが知っている幕末の英雄。腕の立つ少数の隊士が多数の志士たちを相手に孤軍奮闘して闘う姿は確かに迫力があります。

映画やドラマの志士たちは新撰組の引き立て役、その他大勢として扱われるのが一般的です。

しかし今、高知県日高村からみる池田屋事件はだいぶ違っています。志士たちはもはやその他大勢ではなくなりました。

事件で命を落とした志士の一人、北添佶磨は日高村の出身だからです。

佶磨は若くして高知城下で学問を修め、16歳で庄屋職に就くと村の子どもたちを集め寺子屋を開くなどしています。しかし風雲急を告げる時代に居ても立ってもいられなくなった佶磨は自らも尊王攘夷運動に身を投じます。視野の広い彼は坂本龍馬とも親交を結び日本の未来を共に考えていました。攘夷派の中でも優秀な人物としても知られていて池田屋事件で亡くなった殉難七士の一人に数えられています。

その佶磨が池田屋でどのように亡くなったかについては諸説入り乱れています。

文字として残っている資料の中では、現場で自殺したという説が最も有力です。もはやこれまでと悟った佶磨はいさぎよく自ら命を絶ったと。他には、一番最初に近藤勇に斬りかかって殺されたのが佶磨だったとする説や、闘いの最中、沖田総司に斬られたとする説があります。

村の中で言い伝えとして残っている説であり、また多くの人が真実だと信じている佶磨の最期は池田屋の階段から落ちて死んだという説です。

そうです。

この言い伝えまできてようやく北添佶磨が歴史の表舞台に飛び出し全国的な幕末の主役になります。

日本を代表する名作映画『蒲田行進曲』のクライマックスは池田屋の階段落ちです。もしも日高村の言い伝えが真実であれば、日本アカデミー賞を受賞したこの大作の一番の見せ場は、北添佶磨がモデルになっていることになります。

ただこの映画で主役をつとめるのは大部屋俳優の設定です。主役とはいえ、どっちみちその他大勢。

歴史は名もなき市民によって作られると自分に言い聞かせています。それに比べれば北添佶磨は十分歴史の主人公です。

明日から幕末維新博が始まります。

写真は、高知城歴史博物館から眺める高知城。



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