池の畔をゴミ拾い

家から歩いて5分ほどのところにある戸梶川調整池(表題写真)で、村の呼びかけでゴミ拾いがありました。

調整池というのは、自然の池ではなく戸梶川が増水したときに川から溢れた水を貯めて水害を防止するために作られた人口の池です。日高村は長い水害の歴史を持つ地域なので、このような調整池が村内に2か所あります。

今回のゴミ拾いは、職場で席を隣り合っている友人が数週間前から必死に準備してきました。

1週間も前から各家庭に設置されている村内放送で1日に2回、参加を呼び掛ける放送をしていたので、50人は集まるかと思っていましたが、朝九時の集合時間に現れた村民は10人ほど。あとは村外から動員された建設会社の社員が20人はいたでしょうか。

ただ10人しか集まらないからと言って、日高村沖名地区の住民に村を美化する気がないと判断するのは早計にすぎます。むしろゴミ拾い程度の簡単な仕事だから集まらなかったのでしょう。

これが背丈よりも伸びた雑草を草刈り機で刈る時には軽く50人は集まり、広大な池の畔の雑草を1時間もしないであっという間に丸裸にしてしまいます。

日高村のゴミ拾いには何度か参加していますが、基本的にどこに行ってもゴミはほとんどありません。受付でもらう燃えるゴミ用燃えないゴミ用2つの袋の方が、拾ったゴミの量よりも多いのが毎回のパターン。

今日もほとんどゴミはなし。どうして日高村にはゴミがないのか。普段から誰かが拾っているとも思えますし、普段から捨てる人がいないとも思えます。

昔住んでいた川越の町は、市内で最も自治会活動の盛んな町で、週に一回必ずパトロールと言って地域のゴミ拾いを住民が順番に行っていました。加えて年に2回の全自治会員によるゴミ拾い。

それでも町からゴミがなくなることはなく、毎回袋いっぱいのゴミが集まりました。いったい誰がゴミを捨てているのか。

拾ったゴミから推測すると、おそらく町を通る他所の人間が捨てていくか、町に住む学生が捨てていると思われました。

日高村の場合もおそらくそうで、ゴミはよそ者が捨てていると思われます。コンビニ弁当、酒の缶、遊びに来た人がそのまま捨てていったようです。

きっともっと日高村へ遊びに来る人が増えれば、ゴミももっと増えるでしょう。

ゴミが豊かさの代償ならば、もう少しゴミが落ちていてもいい気がします。




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