私の家から歩いて10分ほど、鬱蒼とした森の中に聖蹟記念館(写真)があります。
その昔、明治天皇がこの地へ狩猟に来たのを記念して建てられたものです。
石造りの円形の建物で、中へ入ると中心のホールに馬に乗った明治天皇の銅像。周囲を明治維新で活躍した人たち直筆の書などが飾られ、さらにその外側の丸い廊下に多摩丘陵に住む動植物の写真などが展示されています。
100年も前からある施設で、私が子どもの頃は仮面ライダーがショッカーと闘うロケ地としてよく使われていました。
今日数十年ぶりに訪れてみると客は私一人。まったく変わらず昔と同じです。
私が子どもの頃もここへ来る人などほとんどいませんでした。
誰もいない森は危険なので、「子どもだけで行ってはいけない」とよく言われたものです。「行くなら犬か大人を連れて行け」と。
いざというときうちの犬が頼りになるのか、友達とよく議論したのを覚えています。どう考えてもうちの犬は非常時まっ先に逃げ出したはずです。私たちを置き去りにして。
今日の私は大人なので一人で行きました。もう当時の犬はこの世にいません。
驚いたことに、
この聖蹟記念館。子どもの頃から知っている私の馴染みの建物は、高知県佐川町出身の偉人、田中光顕さんの建てたものでした。
こんな多摩の山奥で、はるか離れた高知県でしょっちゅう目にしていた名前を見るとは驚きです。
多摩の人に田中光顕はあまりなじみがないかもしれません。
この偉人は明治時代、大臣か何かを務めた人で、佐川町にはそこら中に田中さんを称える看板やゆかりのある場所があり、100歩歩けば一度はその名を目にするほど誰もが知る人物です。
ちなみに佐川町出身者にはもう一人、偉大な植物学者の牧野富太郎先生がいますが、こちらはさらに有名で50歩に一度くらいでしょうか。
佐川町は日高村の隣でよく買い物へ行っていたので、私の生まれ故郷多摩と佐川町との間にこんなつながりがあると知ってとてもうれしくなりました。
それにしてもなぜ田中光顕さんはここにこんなものを建てたのでしょう?
私は日高村に移り住んだ時「この辺は多摩の森にとても似ている」と思いました。
遠く高知を離れ東京に住んだ田中光顕さんも、明治天皇のお供をしてこの多摩を訪れた時「ここは高知の森に似ちゅう」と思い、故郷を懐かしむためにこんな建物を建て、しょっちゅう多摩へ足を運んでいたのかもしれません。
私が多摩と日高(ほぼ佐川)は似ていると言っても誰も信じてくれませんでした。
しかしもしかしたら田中光顕さんも私と同じ意見だったかもしれない。そう思うとさらにうれしくなります。