昭和40年代生まれの観光と地域おこし協力隊

昭和40年代生まれというのは特殊な世代で、古い時代のものと新しい時代のものの両方を知っています。

例えば、私が子どもの頃は蒸気機関車が走っていました。テレビは白黒で、電話は黒いダイヤル式、電話交換手なんて人もいました。大切なLPレコードを傷つけて悲しんだり、フェンダーミラーとドアミラーどっちがいいか友達と真剣に話し合ったりしました。国鉄がJRになり、電電公社がNTTになりました。

時代が変わる瞬間にたくさん立ち会えたレアな世代です。

観光の世界も時代が変わっていて今は団体旅行客は全体の約1割、90%が個人旅行客で、観光自体の市場規模は縮小傾向にあるそうです。

団体旅行の全盛期も私たちは知っています。「日本人は個人では行動できないのか」と欧米人から笑われたくらい団体で旅行していた時代がありました。ツアコンが憧れの職業で、どの会社も社員旅行に行くのが当たり前でした。先輩の男性社員が女性社員に見つからないようにこっそりコンパニオンの手配をしていたのを懐かしく思い出します。

コンパニオン、ツアコン、今もいるのでしょうか?

現代の観光業界では、個人旅行を重視すべきか、団体旅行を重視すべきかの議論があるようです。

日高村で観光の仕事をしている私の立場はいたってシンプルです。

「最少のコストで、最大の売上を上げ、日高村全体に利益が還元される観光システムの構築」が私の目的です。この目的を実現できるなら個人客でも団体客でもどっちでもかまいません。

ただ1回30人の団体客を1年間に50回呼んでも1500人。それなら最初から年間150万人の個人客を仁淀川流域に呼ぶ努力をした方が効率的です。

村の駅ひだかの来客数が年間15万人。その10倍のお客さんを仁淀川流域に呼ぶのは簡単ではありませんが、不可能ではありません。

ただ地域おこし協力隊の任期3年間は意外と短い。日高村に来てもう1年が経とうとしています。

昨日たまたま見た福井のテレビ局制作の地域おこし協力隊のドキュメンタリーで、国の担当者が「都市生活者が地方に移住することで地方を活性化する」のが地域おこし協力隊の目的と語っていました。

都市生活者を買いかぶりすぎています。

東京に活気があるのは゛地方”の人が東京に移住しているからです。

東京の人が地方に移住して地方が活性化するのか?

私の知っている生まれも育ちも東京23区はへなちょこばかりでした。私は八王子出身なので少しはましですが、基本は東京生まれです。

しかし、

福井のドキュメンタリーでは「あなたの帰る家はどこにありますか?」と聞かれた若い女性協力隊員が、

「私の家は日本です」と応えていました。

地方から日本を変えるぞという彼女の強い意気込み。そんな坂本龍馬的な想いは私も同じです。

昭和40年代生まれもさすがに明治維新までは知りませんが、志士の心意気だけは見習っています。

写真はミサゴ。猛禽類は大好きだけどトンビは見飽きたという野鳥ファンに人気です。

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