明日ゴールします

2016年の秋から始めた四国お遍路八十八か所巡りは、明日いよいよゴールを迎えます。

先週82番札所までを参拝できたので、明日は83から88の6寺。

これまでと同様、納経帳や輪袈裟、金剛杖などお遍路さんグッズは一つも持たず、祈りの気持ちだけを携えての巡礼です。

「納経帳だけでもあれば思い出として残ったのに」とも言われましたが、以前の仕事の後遺症か「形」というものを大事にしなくなりました。

10年間、終末期病院の病棟鍼灸師として千人以上もの方の最期を一緒に過ごすと、たとえお遍路を何十周回って納経帳を真っ赤にしたとても、神仏のお気に入りにはなれないと分かります。

完璧に形を整え正しいお遍路をしても、死は誰にでも平等です。

一年前に奥さんをがんで亡くし、何の因果か今、自分もがんになり死ななければならない若い父親、やせ細り衰弱してゆくそのベッドサイドには、あとに残される小学生と幼稚園の小さな姉妹が泣いている。

怖ろしい状況ですが、この家族の経験は遅かれ早かれいずれは誰にでも訪れる瞬間です。どんなに神仏にすがっても私たちは死ぬときには死にます。

ただ心も身体も苦しまずに死にたい。

経験上、このような時に力を与えてくれるのは真剣な心を込めた祈りだけでした。実際、麻薬だって祈りの心に比べたら無力です。

ただ、この場合の祈りは宗教ではありません。たいていの宗教は患者さんが悪くなると「あの人は信心が足りない」などと言って逃げてしまいました。

病室で患者さんや家族を元気づける祈りとは、やさしさとか思いやりとか親切心など、幸せになってもらいたいと切実に願う普通の気持ちです。特別なものではありません。

それが、長い目で見るととても重要な役割をすることが多々ありました。

今、私はお遍路をしながらそんな気持ちで手を合わせています。

八十八か所巡りでなによりも素晴らしいのは、この四国の道には祈りの心がどこにでもあふれていることでした。私たちお遍路は四国のどこを歩いていてもやさしさや思いやりとともに歩いています。

四国の人たちのやさしさがこの道を特別なものにしていました。

 

ただ一つ、納経帳を作らずに後悔しているのは、これを持っているとお遍路割引を使える店やガソリンスタンドがあることです。

それにお遍路の格好をしていると受けられるお接待を、私は見かけがまったくお遍路ではないので受けられません。

それが、心だけお遍路の欠点です。




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