山姥を名乗る老婆と出会う

約10日間、丸一日、絵本コンクールの作品展で店番をやっていると、今まで知らなかった多くの村の人と新しく知り合うことができました。

最終日に出会った地元のお婆さんもその一人。その人は村長と親し気に言葉を交わした後、私のところにやってきました。

「この企画を考えたのは誰?すごくえい企画ね!」

白髪の、どう見ても80は超えてみえる容貌にもかかわらず背筋は真っすぐピンと伸びています。言葉は、地元の老人には珍しい東京訛りの土佐弁。

「あんた何者?」と言うので、東京の八王子生まれの八王子育ちだと伝えると、偶然、八王子にいた知り合いのことをうれしそうに2,3人教えてくれました。

しかし八王子に住んでいながら、私はその人たちを知らなかったのでお婆さんは残念そうにしています。

私もお婆さんの名前を聞くと、日高村にはよくある苗字を言います。村でこの苗字の人はたいてい下の名前で呼び合うのが習わしで、名乗る時も下の名前まで言うのが普通です。なのにこのお婆さんは苗字しか言いません。

これでは名前を聞いているのに「日高村民です」と答えているようなものです。「困った婆さんだ」と思った私の心の声が顔に出ていたのでしょう。

お婆さんはニヤリと笑い「あたしのことはこの村では誰でも知っとるよ。『大滝山の山姥』といえばあたしのことだ。」と胸を張ります。

今度は私がニヤリとしました。

つい三日前、村の小学校で話をした時に、子どもたちが一人も大滝山を知らなかったからです。

「〇〇さん今日はついていますよ。村で『大滝山の山姥伝説』を知っているのは今ではほんのわずか。私はその数少ない一人です。」

同じ大滝山に愛情を持っている者同士、そこから話が盛り上がり、元は小学校の先生だったお婆さん、いえ、敬意を込めて山姥と呼ばせてもらいます、はご自身の教育論や人生観をとうとうと語ってくれました。

現代の教育には足りないことがたくさんあるようです。

「この村に来て困っていることを言いなさい。」

元教員らしく、話の切れ目に突然山姥は聞いてきました。

「困っていることはありません。いたって楽しく暮らしています。」

「そういう表面的な社交辞令はやめなさい!私は本音で話さない人は嫌いです!」

おまえもその程度の人間だったのか、山姥は残念そうな目で私を見ます。そう言われても本当に困ったことはないので困りました。

しかしせっかく出会えた大滝山の山姥を失望させたくはありません。

私も持論を語らせてもらいました。

「私が日高村へ来たのは村のあら探しをするためではありません。東京からわざわざ来たのは、ここ日高村から日本が抱えている問題に挑戦するためです。

都会の人間は地方からもっと学ばなければいけません。自分の命を自分で養える地方の人は、お金を使って他人に依存しなければ生きていけない都会の人よりもはるかに強い生きる力を持っています。

地方の人はもっと都会の人をリードすべきなのに、いまだに多くの人は都会の方が田舎よりも優れていると盲目的に信じて、高い金を払って都会人から何の希望もない未来を買うばかり。

自分自身で未来を切り拓く強さを持っているのに、実に愚かで困ったことです。」

うれしいことに山姥も私の意見に熱く同意してくれました。

「土に近い人ほど強い。あたしは60になって畑を始め、初めてそれがわかった。」

話が急に畑になり、自由に耕していい畑があるにもかかわらず、移住後2年も経たずに畑を止めてしまった私としては少し心苦しい気もしながら「まったくその通りです」と偉そうにうなずくしかありません。

最後に山姥の背筋がまっすぐなことを褒めると

「これが昭和一桁生まれの心意気!」と言い残し、山姥はさっそうと去って行きました。

日高村にはまだまだ魅力的な人がいます。




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