山のお寺で人を識る

大滝山護国寺で釈迦の十大弟子の話を聴きました。

十人は、何千人もいたお釈迦様の弟子の中から特に認められた偉大な聖人にもかかわらず、生き様は人間そのもの。

今を生きる人と同じような悩みを抱え、葛藤し、必死で生きています。

数千年前に生きた人でしかも聖人なのにやけに身近に感じてしまいます。

千年経っても人は人。そのことになぜかとても感動しました。

ただ、私たち凡人との最大の差は、弟子たちは釈迦が悟りを開いた人だと見抜く目を持っていたことです。

現代社会に「私は悟りを開いた」などと言う人がいたら、ダッシュで逃げます。本物かどうかわからないし、たいていは全部ニセモノでそのうえ悪者。うかつに近づくと全財産を巻き上げられるか、下手すると地下鉄に毒ガスを撒く羽目になります。

釈迦も周囲に自分は悟りを開いたなどと言いふらしてはいない気がします。

いたって謙虚でした。

もしお釈迦様が私の横を通り過ぎても、気がつかないでしょう。しかし弟子たちはすぐに気がつきました。「あの方はただ者じゃない」。

ただ、もしお釈迦様が現代に生きていたら、皆、偉大な人だと気がつくでしょうか?現代はお釈迦様には生きにくい時代かもしれません。

 

鍼灸師の場合。

有名で名の知られた鍼灸師に本当に腕のある人はいません。現代の自称、悟りを開いた人と同じです。

鍼灸は薬と違って同時に大量の人を治すことができないために、有名になる必要も自分はすごいと言いふらす必要もありません。

鍼灸が治せるのは一回に一人。がんばっても一日に十人くらいが精いっぱい。

優れた鍼灸師は市井に溶け込んでいて、ひっそりと治療しています。

10年以上働いて、そんな力のある治療家だけは見抜けるようにはなりました。

写真は日高村大滝山の護摩壇付近。




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