多摩市を走る聖火ランナーは誰なのか。
なにかのきっかけで近所の人とそんな話題になりました。
すでにみんなオリンピックへの興味を失っているため、私を含めて誰もわかりません。
ちょうど私の治療院の前の道が聖火コースになっています。
だとすると私が知っていなければおかしいと抗議されましたけれども、
今日の今日まで聖火のことなどすっかり忘れていました。
ただ誰もがうらやむ有名人が走らないことだけは確かです。
見なければ絶対に後悔するほどの超一流芸能人は絶対多摩市には来ません。
それだけは今日話し合ったメンバー全員の共通した認識でした。
多摩市にはどうしたわけか誰もが認める三流芸能人しか来ないのです。
「私の成人式なんてゲストは大川興業でしたよ。」
と言ったら、
「それ誰だ?」とみんな苦笑いを浮かべていました。
前置きが長くなりました。ここからが今日の日記の本題です。
大川興業は大川総裁率いるお笑い集団で、総勢10~15人くらい、総裁以下全員が学ランを着ています。
今では誰も知らないグループですが、私が二十を迎えた30年前当時もたいして人気のある人たちではありませんでした。(今も存在しているかどうかもわかりません)。
大事な成人式のゲストが大川興業と聞いて、みんなブーブー文句を言ったものです。
「もっと有名な人を呼べなかったのか?」「お笑いならお笑いでもっと他に面白い人がいるだろう?」
主催者の苦労も知らず、開演前のパルテノン多摩大ホールはみんなが口々に漏らす不平不満でいっぱいに満たされていました。
ところが、
いざステージが始まるやいなや、私たちは大川興業のメンバーの一人に打ちのめされてしまいました。
大川興業そのものはまったくの予想通り。今となってはなんの印象ものこっていません。
ただその中の一人だけがもう面白くて面白くて、もう笑いが止まりません。
彼は舞台だけではなく客席まで所狭しと飛び回り、そこで彼が何かをやるたびにホール全体がそれこそ爆弾が爆発したような大爆笑。もうみんな腹の皮がよじ切れるほど笑いました。
こうして私たちは涙を流して笑い、笑い死にするかもしないと思いながら子供から大人へとなりました。
その芸人は私たちの成人式を吹き飛ばしました。
式が終わってロビーでたむろしていても、そのあとの懇親会でも話題は全部その芸人のこと。
「あいつ面白かったな」「すげーやつだった」
ところが誰も彼の名前を知りません。大川興業の一人としかわからないのです。
いったい彼は誰なんだろう?みんなが彼を知らないことを悔しがりました。
私たちの苦悶はすぐ解消します。彼の正体はその後すぐ日本中に知れ渡ることになったからです。
その芸人こそブレーク直前の江頭2:50。まさにその人でした。
やはり有名になる人は最初から凡人とはまったく違います。
「多摩市にもたまには有名人が来ますよ」と私はこの話で言いたかったのですが、
今日話したじじいたちは信じられないことにあの江頭2:50を知りませんでした。
この話を聞いてもなお「やっぱり多摩に有名人は来ねえな」などと罰当たりなことを言っています。
聖火ランナーに誰が来てくれるかは知りません。
ただどんなに有名人が来ても多摩市の人はその人を知らないことだけは確かです。
そのパルテノン多摩が完成した時のオープニングイベント。
ゲストが網浜直子さんだったことを懐かしく思い出しました。
コメントありがとうございます。
網浜直子さん懐かしいです。
多摩にもけっこう有名人が来ています(^o^)