街路樹の枝が払われ(写真)、
多摩に明るい空が戻ってきました。
写真を見るとまだ暗いじゃないかと思われるかもしれません。
これでも明るくなった方です。枝のついている頃の多摩に空はありませんでした。
分厚い枝と葉が空を隠していたせいです。
枝を払うだけではなく、いっそのこと根本から伐採してしまえばもっと明るくなっていいと私は思っているのですが、
多摩では木は善なるもので弱いものという考えが支配しているので、木を切ってしまおうとなどと主張すれば、暴力的な人間か傷ついて自暴自棄になっている人間のように思われてしまいます。
それでもやっぱり多摩が暗いのは木が多すぎるせいだと思っています。
眺望の良さと広い空が本来この多摩丘陵の街にはあるはずなのに、それらを全て木々が覆ってしまい、上を向いても見えるのは木の影ばかり。
そのせいか市の防犯メールには毎日のように不審者情報が入ってきます。
木陰は、自分の裸を子供達に見せようと狙っている変質者たちにとって最高最適な隠れ場所です。
おかげで多摩には豊かな森があっても、子どもが子どもだけで安心して歩ける環境はどこにもありません。
こうなると多摩の木々は、変質者の自由な活動のためにあるのではないかとさえ思えてきます。