多摩で教わる高知の英雄

高知県佐川町(さわかちょう)出身の明治の偉人、田中光顕については、東京じゅうを探しても知っている人は、おそらく3人いるかいないか。

どんなに楽観的に見積もっても10人は絶対にいかないと思います。

というのも、本場の高知にいるときでさえ、佐川町以外でその名を聞くことはまずありませんでした。

そんな隠れた偉人が、今日、多摩テレビの番組で詳しく紹介されているではありませんか!

驚きです。

それは田中光顕が多摩市の文化財「多摩聖蹟記念館(表題写真)」の建設したからです。

彼は土佐からやってきた出稼ぎの大工ではありません。高いところから、日本国のとても高いところから明治政府と東京府に建設を命じました。

多摩テレビは、田中光顕の生い立ちから経歴のすべて、それこそ佐川町の深尾家のことや中岡慎太郎と親交があったこと、青山文庫を作ったことなど、佐川町の人でも知らないような光顕のあれやこれやを、約10分もの長時間を割いて事細かに紹介してくれました。

高知の人物を東京のローカルテレビがこれほど詳細に伝えることなどまさに奇跡です。だいたい多摩市長の名前だってみんな知らないのですから。

多摩の歴史家が、田中光顕を深く尊敬しとても感謝していることがよくわかります。

ただ一つ残念だったのは、佐川町のことをずっと「さがわちょう」とにごって言っていたことです。

本当は「さかわちょう」で、にごりません。

番組中、何度も繰り返し佐川町が出てきましたが、全部にごった「さがわちょう」でした。

これは、多摩市を「だまし」と言っているようなもので、佐川町の人にとってはあまり気持ちの良いものではない気がします。

ただ、多摩テレビは多摩だけで放送されていて、ほとんどだれも見ていないチャンネルなので、佐川町をまちがって覚えてしまう人はごくごく少ないはず。

それだけは救いです。

その分、田中光顕を知る人も少ないと思いますが。

ところで、田中光顕は何をした人なのでしょうか?

これは坂本龍馬をはじめとする明治維新の偉人にはよくありがちなことですが、テレビを見た後にもかかわらず私にもよくわかりません。

おそらくですが、田中光顕は明治天皇にくっついていた人だと思います。




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