義理の両親はまだ死んでませんが、先日自分たちの墓を買ったとのこと。
そこで昨日は義理の両親と私たち夫婦とで現場を見に行ってみることにしました。
墓地は東京西部の山の中にありがちなこぎれいで無宗教、元産廃捨て場だったような墓園。
その一角の新しく造成された場所に義理の両親の墓地はあります。
その辺りはどのお墓もまだ新しく、ほとんどがうちの両親のもののようにまだ空か、中に誰かが入っていたとしてもごく最近までご存命だった人のものばかりです。
ところがそこで恐ろしい墓を見つけました。
自分の墓です。
もちろん私はまだ生きています。厳密に言うと違う苗字で名前が自分と同じ人の墓を見つけてしまいました。
私の名前はどちらかというと珍しい方の名前で、生まれてからこのかた50年、まだ同じ名前の人とは会ったことがありません。
一人同じ名前の人は歴史上の人物にいますが、漢字は違います。
同じ漢字の同じ名前の人とついに出会えたと思ったら、その人はつい最近亡くなっていてお墓に名前を刻まれる人となっていました。
知り合いでもなんでもない人のお墓ですが、自分とそっくり同じ名前の刻まれた墓石を目の前にすると、
自分の墓を目の前にしたかのようです。
仕方ありません。だって自分と同じ名前の人間は自分だけしか知らないのですから。同じ名前の墓を見たらどうしたって自分の墓のように思ってしまいます。
こうして自分の墓を目の前にすると突如として死が、人生の終わりが現実のものとして目の前に現れた気がしました。
自分も死ぬという絶対的な真実がついに自分の心臓にも手を伸ばしてきた感じです。
ショックでした。血の気が引き気持ちが落ち込みました。
自分たちの墓を見て「もう安心だ」「ホッとした」とニコニコしている義理の両親とは好対照に、
私は、ただ名前が同じだけの赤の他人の墓を見つけただけで「まだ死にたくない」とそのあとずっと青ざめていました。
自分の名前がタケシとかヒロシとかもっとありふれた名前だったらよかったのにと今更ながら恨めしく思っています。