埼玉県の中心はどこか

高知から見ると世界一どうでもよいことですが、

埼玉県の中心地はどこかを巡り、大宮と浦和が両者譲らない抗争を繰り広げています。

ところが本当の埼玉の中心は大宮でも浦和でもありません。

川越です。

これは住んでいたから知っているのですが、元々江戸の昔から川越が埼玉の中心でした。

その後、明治になり埼玉が県になると当然川越が県庁所在地に選ばれます(このへんはうろ覚えです。私の気のせいかもしれません)。

ところが東京から鉄道が敷かれる段になって問題が生じました。

地元の船運会社から鉄道反対運動が起こったのです。

海のない埼玉に船会社があるのかと疑問に言われるかもしれませんが、川越は古くから川で江戸と結ばれていました。

川越で収穫されたさつま芋(このへんもうろ覚え)を船に乗せて新河岸川から墨田川へと下り江戸へ持っていき、帰りは江戸からなにか文化的なものを持って帰る川船交易で川越は栄えました。

そんな地域だったので、地元船会社の強硬な反対により結局敷かれた鉄道は単線(今でも川越線は単線です)。

東北や信越へ抜ける主要ルートからも外れてしまいました。

鉄道から見放された川越は埼玉の中心から脱落、

こうして本来の中心地を失った埼玉県は便宜上どこかを県庁所在地を選ばなければならなくなり、大宮と浦和が争う現在のような事態となったのです。(このへんは私見です)。

川越からみれば大宮も浦和もどちらも同じただの湿地帯。元々は人間よりもカエルの数が多い土地(これも私の個人的見解)。

そんなジャングルみたいなところが争っているのは、小江戸といわれた川越からみるとチャンチャラおかしくて、

と、同じ埼玉県の岩槻市在住のお爺さんに話したところ、

「それはうそだね。」と怒られました。

お爺さんによると、埼玉の本当の中心は大宮でも浦和でも川越でもなく、実は岩槻だそうです。明治になったとき県庁所在地は主要な宿場町だった岩槻が当然選ばれるはずだった。

「埼玉県民なら誰でも知っている話だぞ。」

「川越に10年住んでいましたが初耳です。川越の人はみんな川越が中心だと思っていますよ。」

と反論したら、世界がひっくり返ったかのように大口を開けて驚いていました。

 

埼玉の中心は、調べると他にもっとたくさんありそうな気がしてきました。

よくよく見まわすと、埼玉の街は全部みんな中心地みたいな顔をしています。

 

写真は、雑草の王様カラムシ。聖蹟桜ヶ丘へ行く途中の斜面に茂っていました。




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