古い友人と会うために吉祥寺へ。
随分久しぶりの吉祥寺です。体感では100年ぶりくらい。
ものすごいたくさんの人、それも若い人で街はあふれかえっていました。
100年前よりもはるかににぎわっていたのではないでしょうか。
もう駅前なんて大騒ぎ。
どこかにゴジラでも出て、パニックになった人たちが逃げ回っているのではと思ったほどです。
人混みが苦手な私にとっては地獄そのもの。
すっかり人酔いをしてしまい、懐かしい友人と会う楽しさよりも、早く帰りたいという激しい願望の方がずっと上回っていました。
「昼も夜も大勢の若者でにぎわう街にしたい。」
吉祥寺の細い裏道を、行き交う人とぶつからないように歩きながら、
高知で地域おこしをやっている人たちがよくこんなことを言っていたのを思い出していました。
あの人たちは高知を吉祥寺のような街にしたかったのでしょうか。
だとすると都会から高知へ移り住んだ私のような人間に地域おこしの仕事を任せるのは無理がありました。
何しろたくさんの人がいる都会が嫌で静かな高知へ移り住んだのですから、わざわざ高知に人を呼び込もうと本気でがんばるわけがありません。
人のいない今の高知が大好きです。まさに理想郷でした。
私だけではなく、そんな人は案外多かった気がします。
地域おこしをやりながら実は本気て地域おこしをしていない人。
たくさんの若者を高知に呼び込みたい、過疎をなんとかしないと高知に未来はない、そう表向きはみんな言っていますが、それはそう言っておけば国や県から補助金をもらえるから言っているだけであって、
本音では高知にたくさんの人が来てほしいと思っている人は少なかったように思います。
というのも地域おこしをして、自分達の地域を将来どういうふうにしていきたいか具体的なビジョンを持っている人があまりいなかったからです。
高知の人はみんな静かで贅沢な空間を楽しみながら暮らしていました。
高知で「大勢の若い人に来てほしい」と言う人に会うと、
私は「何人くらい?」とよく聞きました。ところが具体的に答えた人とは一人も会ったことがありません。
実際大勢の人がやって来て、高知が吉祥寺のようになってしまったら、今高知に住んでいる人はみんな悲鳴を上げて逃げ出すと思います。
私も今日、吉祥寺から多摩へさっさと逃げ帰ってきました。
写真は今日友人と食べたたらこの生パスタ。おいしかった気もします。
シソの葉は10枚分使っているとありましたが、そう言われればそんな気もしますし、10枚ないと言われればそんな気もします。