土佐の演説上手

高知を舞台にした朝の連続ドラマは観ないようにしています。

観れば絶対に夢中になってしまうし、ひとたび夢中になってしまえば高知のことが懐かしく、おそらく新しく始めた仕事も犠牲にしてドラマを見続けかねないからです。

それでもどうしても気になって時々観てしまいます。

今日観た回では、主人公の牧野富太郎は自由民権運動家と一緒に演説をして聴衆を大いに沸かせていました。

私の知る限り、

土佐の人はコミュニケーション能力に長けた人が多く、

結婚式や選挙の演説も本当に上手です。

我が日高村の村長と副村長も本当に演説が上手くて、聞いていると自然と笑顔が湧き上がってきて、聞くのがいつもとても楽しみでした。

高知ではそんな感じで誰かがどこかで演説をすると、場がとても盛り上がりました。

一方、

ここ東京多摩市では上手な演説というものと出くわしたことが一度もありません。

先週の選挙でも心に残る演説をした人は一人もいませんでしたし、

市長の話も副市長の話も聞く機会がありましたけれども、どちらも退屈で退屈で死にそうな演説をしていました。

この二人は本音のところでは市民が嫌いなんだな、とつくづく思ったほどです。

私たちを退屈させて殺そうとしていたのかもしれません。

実際死ぬほど退屈でした。

 

高知に比べると東京の人は一般的にコミュニケーション能力が非常に低いと思います。

気の利いた会話というものがここ東京ではめったにありません。

高知ではどこで口を聞いても必ずと言っていいほど笑顔の生まれる会話を楽しむことができましたが、それとはまったく対照的です。

これは私の勝手な想像ですが、

東京というところは、コミュニケーション能力に問題があって地方で暮らせなくなった人々が故郷を追い出されて大勢集まってできた街だからだと思います。

人を楽しませようとする気持ちのまったくない人々に囲まれて暮らすと、心がとても乾燥します。

土佐を舞台にした朝のドラマが胸に沁みます。




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