南国土佐をまに受けて

東と西の日本は意外と遠く、お互いに相手のことをあまり知りません。

高知の人が東日本をみて栃木と群馬の違いが分からないように、

東日本から四国をみて、四国では雪は降らないと思っている人は多いと思います。私も雪国から遠く離れた四国で雪が降るなんて想像もできませんでした。

以前、九州へ行く飛行機の窓から、雪を頂いた徳島の山並みを見て「四国で雪が降るなんて異常だ。氷河期は近いぞ」とビビったのを思い出します。

南国土佐と言いながら、四国にも雪は普通に降ります。

日高村から車で2時間も走ればもうそこはスキー場。白銀の世界です。

村から30分も車で行けば太平洋なので、四国では夏と冬、両方のレジャーを楽しむことができます。

四国には何でもあるのに、外の人も内の人もよく「四国には何もない」と言います。不思議なことです。四国にはストレス以外のすべてがあり、豊かな生活を楽しめます。

おそらく四国を独占したい誰かが、人が来ないように間違った思い込みを世界に広めているに違いありません。その気持ち分かります。四国はどこへ行っても人がいないのでストレスフリーです。このまま静かな四国でいてほしいものです。

それにしても、

高知にも普通に寒い冬が来るのに、なぜ「南国土佐」と呼ばれるのでしょうか?

ネットで調べてみました。

「南国土佐」のルーツは、ペギー葉山さんの歌「南国土佐を後にして」にあります。

この歌はもともと、第2次大戦中中国大陸へ出兵した高知県の部隊、陸軍朝倉歩兵236連隊、通称”鯨部隊”の兵士の中で自然発生的に歌われ生まれたものだそうです。

それを復員兵が高知に広め、やがてペギー葉山さんが歌い大ヒットしました。

作詞作曲は武政英策さんとなっていますが、作詞作曲は土佐から出征した兵士たちで、武政さんは「編曲」だとの主張もネットではみられます。

私もその主張に賛成です。極寒の大陸で故郷土佐を想って兵士が歌った歌だと知って、ますますこの歌が好きになりました。ただの昭和のヒット歌謡ではありません。とても特別な歌です。

でもなぜこのエピソード、歌の由来があまり語られないのか。

ニュースなどを見ているとペギー葉山さんが高知を日本中に広めた恩人のように報道されますが、実際は高知のおかげでペギーさんは人気者になったと私には思えます。時々高知はものすごく謙虚になります。カツオにゃんこも某妖怪ウォッチにパクられても、文句も言わずそのままだとネットにはありました。

いずれにせよ、南国土佐を真に受けていた私は、予想を超える冬の寒さに毎日震えています。寒さは埼玉の方がひどいのに、間違った思い込みのせいです。

写真は中土佐町久礼大正市場、田中鮮魚店の鰹のたたき。魚を超えたおいしさです。




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