バイカオウレンの咲く頃

いつのまにかバイカオウレンの咲く季節になっていました。

日高に人を呼ぶ材料になるかもしれないと、昨年は必死に植物の名前を覚えましたが、やはり興味のないことは覚えられません。

その世界では有名なバイカオウレンの名前はおろか存在すらも、今はすっかり忘却の彼方です。

先日、同僚に指摘されてようやく今がその季節だと思い出しました。

まったく興味がないにも関わらず、去年さんざん探したおかげで村内にある秘密の繁殖場所をいくつか知っています。まあ宝の持ち腐れとはこのことです。今はもうわざわざバイカオウレンを見に行こうとは思わなくなりました。

その方がバイカオウレンの幸せにとっても良いことだと思います。

植物好きな人はどうも植物をそっとしておくことができないようで、バイカオウレンも繁殖地が人に知られると根こそぎ持って行かれます。

「とっていいのは写真だけ。持ち帰っていいのは思い出だけ。」とはガイドの決まり文句ですが、写真もいい写真を撮りたい人は大事な繁殖地に入ってきてしまうので、小さなバイカオウレンは踏み潰されます。

人間と貴重な自然は相性が悪い。

守りたい大切にしたい自然があれば人間から離すのが一番いい気がします。

里山ツーリズムといっても、里山が許容できる人間の数にも上限があるはずです。日高に浅草や心斎橋並みにたくさんの人が来たら自然は破壊されるでしょう(まあ来ることはないけど)。

来るか来ないか分からない、あるいは来ても環境と相性が悪い観光客を日高に呼ぶよりも、100年後1000年後の子孫に日高の自然を残す方がはるかに重要だと思うのですが、街でも新聞でもテレビでも人と自然とのあるべき姿が話題になることはまずありません。それは一つにはカネにならないのと、みんないずれ人間がいなくなると思っているので、議論自体に意味がなくなるからでしょう。

50年後、地方は消滅するなんていうノストラダムスの大予言を何の検証もせずに信じこんで、未来への責任を放棄してしまっているのは悲しいことです。

確かに人間が消滅してしまえばバイカオウレンは喜ぶかもしれません。

写真は、得得うどん。




コメントを残す