
サイゼリヤのドリアは安くて美味しいから大人気なのはよく知っています。
ただこれほど足繁くサイゼに通っているにもかかわらず、今まで一度も食べたことはありませんでした。
あの使い放題の粉チーズを食べるには、ドリアでは物足りない、役不足だと思っていたからです。
それにドリアはスーパーの冷食で3個200円くらいで売っていますし、いくらサイゼのドリアが安くて美味いと言ったってそれに比べると、と若干鼻で笑っていました。
しかしサイゼからこうして使い放題の粉チーズが撤去されてしまった以上、こちらとしてももう一度一から新しい「サイゼリヤと私」を作り上げなければいけません。
そこでドリアにも挑戦。
初めてのドリアは目から鱗のおいしさでした。
やはりスーパーの冷凍とはまったく違います。サイゼのドリアだってどこかの工場から店に運ばれてくるまでは冷凍なのでしょうけれども、当然スーパーとは格段の差があり、大満足の美味しさでした。
きっとオーブンも違うのかもしれません。
いずれにせよ粉チーズがなくなって途方に暮れていた私にとって、新しいサイゼリヤを発見できたうれしい出会いでした
そういえば以前、これと似たような経験をしたことがあります。
炭水化物ダイエットを始めた時のことです。
食卓からご飯を消して、私の食生活が貧しくなるかと思いきや、いざ実際に始めてみるとご飯を食べている時よりもご飯がない方がもっと豊かな食生活が待っていたのです。
というのも、それまでの食事はすべて「ご飯のおかず」、私にとってすべては米をおいしく食べるための手段道具に過ぎませんでした。
それがご飯が消えることで、すべてのおかずが一気に食卓の主役へとのし上がってきたのです。
米をかき込むためのただの脂だったハンバーグが、美しい肉料理へと変貌しました。
米に味を付けるだけのただの塩の玉だった梅干しが、豪華な梅料理に。ご飯に色を添えるだけの変なイカが美味しい塩辛に、などなど。
ご飯がなくなったことで、他のおかずたちがいきいきと輝き始めたのです。
私の食卓はそれまで米の奴隷だったことを痛感しました。そして今や、すべてのおかずと私が米から解放され、ついに自由の身となったのです。
炭水化物ダイエットは私にとって感動的な驚きでした。
もちろん今はもう普通にご飯を食べています。なんだかんだ言ってもやっぱりおいしいので。
ただ納豆だけは今でも自由の身です。ご飯はいりません。その方が納豆のおいしさがよくわかります。
この体験から想像するに、
食べ放題の粉チーズが消えたことで、
サイゼリヤはこれからの私の前に本格的高級イタリアンとしてその姿を現してくれる。
はずです。
とりあえず今度は、これまでカタツムリというだけで敬遠していたエスカルゴに挑戦します。
カタツムリだって見方を変えれば、小さな鮑に見えなくもありません。