ゴミを川に捨てる人

多摩川にかかる関戸橋を歩いて渡っていると、橋の真ん中あたりにゴミが落ちていました。

弁当やおにぎりの残骸がいっぱいに詰まったコンビニのレジ袋。

並走する車道から投げ捨てられたと思われます。

私はそれを見て見ぬふり、拾い上げることなくスルーして通り過ぎました。

ところが、

私のすぐ後ろを歩いていた見知らぬおじいさん、いかにも健康のためにウォーキング中といった姿をした白髪でヨボヨボの老人が、そのゴミを拾い上げたではありませんか!

世の中には立派な人がいる。

と感心したその瞬間、じいさんは手につかんだゴミ袋を橋げたから下を流れる多摩川へ向けて投げ捨ててしまいました。

なんてことするんだ!とにらむ私。

一方じいさんは、ものすごいドヤ顔で私を見返してきます。

胸を張り、誇らしげな目は「おまえが素通りしたゴミを、この私が処分してやったのだ」と言わんばかりです。

見て見ぬふりをして通り過ぎた私に偉そうなことを言えるわけもなく、何もいわず私たちはそのまま橋を渡り、それぞれの道へ別れました。

 

その昔、山や川にゴミを捨ててもよい時代がありました。自然に還るからとポンポン自然の中にゴミを放り投げていた時代です。

このじいさんはおそらくその時代の生き残りと思われます。

高知に住んでいる頃、里山を歩いているとそんな時代に捨てられたゴミをよく目にしました。

ダイヤル式の木目調ブラウン管テレビ、缶切りが付属しているトマトジュースの空缶、緑色の冷蔵庫、手動脱水機付きの洗濯機などなど、ちょっと裏山を歩くと土をかぶった昭和初期の遺物の数々を発見し、うれしくなったものです。

さながら里山は昭和博物館でした。

道徳は時代が変わると変わります。

病院の待合で堂々とタバコが吸えたのはつい20年ほど前のこと。喫煙所と呼ばれる隔離施設などその当時はありません。どこでも楽しくタバコが吸え、どこにでも吸殻を捨てていました。

タバコをやめて本当によかった。今の時代、歩きタバコだって頭のいかれた人間のすることになってしまいました。

恐ろしいのは、変わったことに気が付かないまま古い道徳で自分が生きてしまうことです。年を取るとそんなことも心配しなければいけません。

今はどこへ行くにもマスクをしなければいけない。

つい最近そんな時代になったことだけは鈍感な私にもなんとなくわかります。




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