わかりにくい自然保護

思えば東京にいる頃、自然保護は単純でした。

建設会社が仕事を止めてくれれば自然は守られると思っていました。

自然と対立する人間。わかりやすい構図です。

ところがここ、自然豊かな高知県仁淀川流域では、人間がいなくなることで崩壊する自然があります。

里山は人の暮らしがあってはじめて成立する自然なので、人と自然は対立しません。

そこで人のいなくなった地域の自然をどう保護するのかの問題が出てきます。

里山の自然は、人が介入しなければ自然には調和が取れない。

しかし、そもそも調和の取れた自然とは何か?

人がいなくなればなったで自然に自然は本来の姿を取り戻すのでは?

里山がこの地域の理想の姿とは限らない。

あるべき自然の姿、目指すべき自然の状態は単純ではありません。

サステイナブルであれば何でも正しいのか?サステイナブルかどうかは未来になってみなければ分からないのでは?

いろいろ考えますが、東京から運転して帰ってきた疲れが今日になって出てきて頭が回りません。いずれまた考えます。

 

今日、沖名の調整池で100匹ほどの魚が死んでいました。調整池全体の魚の数からしたら少ない数ですし、また異常な事態ではないとのことでした。

おそらく原因は酸欠か病気。

死んだ魚にとっては巨大な災害ですが、通常の自然の営みのようです。

写真は、今回の話題と全然関係のないもへいくんとおりゅうさん。




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