それでも猫は自由を望む

近所の猫が家出をし、すぐ家族に捕まっていました。

20年前、この家に住んでいたうちの猫もよく脱走したのを思い出します。

玄関のドアが開いた一瞬の隙や、洗濯物を干すためにサッシを開けたほんのわずかな隙を見逃さず、「今だ!」とうちの猫は猛ダッシュ。

家から逃げ出して、そのまま行方をくらましました。

いったい何が不満で家出なんてするのだろう?

家族総出で行方を探しながら、みんなで話し合っても答えはさっぱりわかりません。

家の中にいれば、猫は平和で安全で食べ物の心配もなく家族みんなにチヤホヤされて楽しく暮らしていられるのに、

それが一歩外へ出てしまえは猫には危険しかありません。

車には轢かれるし、意地悪な野良猫にはいじめられるし、猛禽類に狩られるかもしれません。おまけにお腹が空いたって食事をくれる人は誰もいません。

それでもうちの猫は自由になることを選びました。

自由は猫にとってすべてを投げ打ってでも手に入れたい宝石のようなものなのでしょう。

家で奴隷として暮らすよりも、危険がいっぱいな外で生きる自由を猫は本能で選びます。

うちの猫の必死な脱走っぷりを私は今でもはっきりと思い出します。

あいつは前後の見境なくドアのすき間から青い空の下へ飛び出して行きました。

まあしばらくすると何事もなかったようにしれーっと戻ってきてご飯をねだりましたが、

それでもまたドアやサッシがちょっとでも開いていると、猫は再び自由を求めて脱走します。

今、自分は自由に生きているだろうか。

今は天国にいるうちの猫を思うと考えさせられます。




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