かけがいのない微塵の一点。

「月世界旅行の夢が、ついに現実となる時代が訪れて、地球を旅立った宇宙飛行士たちが、宇宙船の中から見た地球は「蒼かった」と云う。その蒼い地球、百数十の国々幾十億の人類が共存共栄する地球、その中に微塵の一点にも足りない日高村こそ、わたちたちにとっては、かけがいのない郷土なのである。」。昭和51年刊行の「日高村史」はこの格調の高い文章で始まります。

全720ページに及ぶこの大著を1ページでも読めば、編纂委員たちが日高村を地球の「微塵の一点にも足りない」ちっぽけな村などとはまったく思っていないのは一目瞭然です。

「日高村史」には、神代の時代から昭和50年までの日高村の歴史、経済、社会、教育、文化などのあらゆる出来事があますことなく記録されています。

特に細かな出来事の記録については目を見張るものがあります。

例えば、129ページを読むと「当時郷民の家庭では、夜中の小便起きの禁忌(まじない)として 高知くぼうど(供奉人)がかかりましたので、あすの晩からええ参じません(よう来ません) という言葉を唱えたという。」と山内藩政時代の庶民のおまじないが記録されています。

また、労働習慣について記録した644ページの項目「小昼食の習慣(オヤツとも云う)」には「農繁の時期に於ては昼食と夕食との間に「オヤツ」と称して間食する習慣は今も行なわれている。」との記述が見られます。

どんな些細なことも漏らすまいとする編纂者の気迫を感じます。

さらに651ページ「おじゃみ歌」の記録には、

「おじゃみ、おふたおふた、おみいおみい、およう、なってくりよ、とんきり。」と書かれています。お手玉の歌でしょうか。

神は細部に宿るという言葉があります。

私にはこの書物が、とても神聖なものに思えます。

「日高村史」を読み進むほど、私のようなよそ者にもここが「かけがいのない郷土」に感じられてきます。

村の歴史は、人の人生そのものです。

そして、日高村の歴史は、長い水害との闘いの歴史でもあります。

225ページ、農作物、水稲の項には「広大な低湿地帯は毎年二、三回の出水に一望の大海と化し、その滞留水は冠水して数日に及び、秋の稔りも刈り取り前一瞬にして皆無にすることが常であった」とあります。

この「日高村史」が書かれたのが、多数の死者を出した昭和50年の水害の年であることにも意味が感じられます。

行間には、水害を越えて立ち上がる日高村の不屈の精神があふれています。dsc_0572

 

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