「3・11」に「祝い餅」を拾う

私の住む日高村は古くから水害に悩まされてきた地域で、最近でも平成26年に村の主要な部分が水に浸かる災害があり、また昭和50年には水害に伴う土砂崩れにより20名を超える方が亡くなっています。

しかし、全国的には日高村と水害の歴史について知っている人はほとんどいません。すぐ隣の町の人でさえ昭和50年の災害を覚えている人は今はもうあまりいないようです。平成26年の浸水被害を知らない人もいるくらいなので。

今日、日高村から恐ろしい水害をなくすため、新しい放水トンネルの工事着工を祝う起工式が、高知県の副知事や国会議員を招いて盛大に行われました。

このトンネルは、日高村を数百年にわたる水害の苦しみから解放してくれる希望のトンネルです。

それにしても今日は3月11日。

埼玉であの震災を体験している私としては、今日、紅白の垂れ幕で仕切られたおめでたい席に行くことには抵抗がありました。それでもやはり私の家から歩いて5分の場所で行われる大事な起工式です。行かないわけにはいきません。

15時過ぎ。式典を終えて何気なくテレビをつけると、あの時間、14時46分に黙とうを捧げながら涙を流している女性の姿が映っていました。

今日の14時46分。私は紅白の舞台からお偉いさんが放り投げる「祝い餅」を楽しく拾っていました(表題写真)。

東日本の人には馴染みのない慣習ですが、四国ではお祝い事があると集まった人達に向けて大量のお餅を投げます。

そのお餅がこれ。

東日本の人が日高村の水害を誰も知らないように、日高村にとっても7年前、1000㎞向こうで起きた震災はすでに遠いものになりました。

7年前の14時46分。私は病室で末期のがんを患っている30代の女性を治療していました。地震に怯える痩せた彼女の顔を今でも思い出します。

無邪気に餅投げを楽しんでしまった自分が恥ずかしい。

他人事ではなかった震災がいつのまにか他人事になっていました。落ち込みます。

地震や災害について語る時、私たちはどの立場で語っているのかに気をつける必要があります。地震も災害も他人事ではありません。

「災害で被害にあう人を一人でも減らしたい」

これを言う時、私たちは行政や政治家の立場に立っています。どちらかと言えば他人事。

もちろん、これはこれでとても大切です。放水トンネルを造ったり、津波避難タワーを造って被害を少しでも減らすのは行政や政治家の大事な役割で、例えば、それらのおかげで500戸が浸水被害から救われたとか、100人が津波で命を失わずにすんだとなればとても喜ばしいことです。

ただ実際に災害に遭遇する人の立場に立ったとき、たとえ100人、1万人の命が救われたとしても1人の命が失われれば、被害が1人でよかったと喜ぶことはできません。

たとえその1人が赤の他人で縁もゆかりもない人だとしても、死んでいたのは自分であってもおかしくなかったし、自分の家族や友人でもおかしくなかったからです。災害は誰にでも平等にやってきます。

基本的に私たちは行政や政治家ではなく、実際に災害に見舞われる立場にあります。

あの日、私たちは誰もが否応なしに死を突き付けられました。震災に遭遇した人は誰でも自分の大切な人に何か起きたのではないかと心配しなかった人はいないはずです。

「自分の大切な人が無事ではないかもしれない」

これを思うことはとても恐ろしいことで、そして実際にたくさんの恐ろしいことが起きました。

津波避難タワーも放水トンネルも、それらによって命を救われた人にとっては神様のはしごですが、災害で亡くなった人や大切な人を失った人から見れば無意味なおもちゃにすぎません。

行政の人や政治家には、一人でも被害にあう人を減らす努力をしてほしいのはもちろんです。

ただ東日本大震災が教えてくれたのは、実際に災害が起きれば私たちは死を逃れることはできないという現実でした。東北でたくさんの人が亡くなったのは他人事ではなく、誰にでも起こりうることでした。

暗いことを言うようですが、高知で南海トラフ大地震が起きれば同じことが起きます。南海トラフで死者ゼロを予測している機関はひとつもありません。

 

いざ大地震が起こった時、私たちは死ぬ覚悟ができているのか。仮に運よく生き残っても、大切な人を亡くして生きていける強さを持っているのか。

この7年の間、東北の人たちは想像を超える苦痛の中で、人には生きる強さがあることを私たちに教えてくれました。

そして、あの震災で亡くなった人はすべて、自分の命をかえりみず他者のために行動した人たちでした。

心よりご冥福をお祈りいたします。

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